DJ KOOインタビュー#3 「中居正広さんが『EZ DO DANCE!』を引き出してくれたんです」
DJ KOOがDJ BLUEとともにプロデュースしたJ-POPのリミックスアルバム「オドレーJAPAN! ~歴代オドレルJ-POP日本代表~」が、3月4日に発売された。
今回、DJ KOOに全3回にわたるロングインタビューを敢行。第3弾となる今回は、伝説のプロジェクト・H Jungle with tの裏話や、バラエティー進出後の思いなどについて語ってもらった。
H Jungle with t始動前の“草の根運動”とは?
――TRF時代の今だから話せる“失敗談”や、大変だったことなどはありますか?
DJ KOO:一番忙しかったのが1995年なんですよね。その時って、TRFでは「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」でレコード大賞を受賞した年で。
レコ大があって紅白歌合戦があって、ヴェルファーレ(※当時六本木にあったディスコ)のカウントダウンライブがあって、しかもそこにH Jungle with tがあったんですよ。H Jungle with tも紅白に出ていたので、1日の中で4カ所くらいリハーサルと本番があって…という大みそかでしたね。
その時ほど忙しいというか、時間無く秒単位で動いている時は無くて。そんな中で小室(哲哉)さんとはずっと一緒に動いていたんですけど、その時初めてほぼ全力で走っている小室さんを見ましたね(笑)。あの小室さんが全力で、僕の前を走っているというのは衝撃的でした。
H Jungle with tにしても、皆さんは「小室さんと浜田(雅功)さんが『HEY!HEY!HEY!』の中で口約束したことが具体化したんだろう」っていう感じなんですけど、そうじゃないんです。
「ジャングル」っていう音楽がイギリスで流行っていた時に、小室さんが「これはいい」って仰って、それからジャングルの曲をかけるイベントを隔週で、3カ月から半年くらいやっていたんです。
僕がずっとジャングルを流しているところに小室さんがシンセサイザーを持って来て、そこでアドリブでセッションしていくような。それがあってのH Jungle with tだったんですよ、実は。
――そうした地ならしというか、トライを経ての大ヒットだったんですね。
DJ KOO:そうですね。ドラムンベース、バングラビート、バングラマフィンとか、いろんなジャングルの種類の曲をトライして。もう東京中からジャングルのレコード買い集めてやってました。
小室さんもそのビートに載せてシンセでいろんなメロディーを弾いたりして、お客さんが盛り上がるという。そういうところを何カ月も経てH Jungle with tとして形になった感じですね。
「『WOW WAR TONIGHT』のコーラスはクラブで遊んでた普通の人たち」
DJ KOO:レコーディングに来た浜田さんがまたすごいんですよ。ブースに入って「ちょっと歌ってみましょうか」となった時、浜田さんは音が流れたら本番だと思われたみたいで、アタマから最後まで全力で歌っちゃって。
一応歌詞カードは用意しているんですけど、浜田さんは1曲全部(歌詞が)頭に入っていて歌詞も見ないんです。そしてその歌がもう、すごく良かったんですよ。
レコーディングのことを知っていたら、「ちょっと声慣らししてから~」とかなるじゃないですか。そういうことも無く最初から全力でやったら、小室さんが「これいいなぁ! ここの部分もっと思いっきり行っちゃっていいよ!『この野郎!』とかやっちゃっていいよ!」って指示されて。それで2テイク目やったら、もうOKです。
――それができるのはやはり、浜田さんの“本番力”の賜物なんでしょうか。
DJ KOO:やっぱりご自分の中でしっかり練習して、用意されてきたんじゃないですかね。もしかしたらレコーディングは練習せずに一発でやるものだと思っていたのかもしれないですけど(笑)。
あと、「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」の秘話ですけど、小室さんがサビのコーラス部分を「ここはすごく親しみのあるコーラスにしたいから、みんなでコーラスしたいね」って仰って。
しかも「ちゃんとしたコーラス隊じゃない方がいい」っていうことで、僕がレコーディングの途中で六本木のクラブに行って、そこで踊ってたお客さんたちに「今から一緒にレコーディングしてくれない?」って声をかけたんです。
本当にその時たまたまクラブで踊って遊んでいる人たちにスタジオに来てもらって、みんなで「Wow WowWar~♪」ってやったのが、あの曲のコーラスです。みんな踊っていた勢いで楽しくやってくれたんで、あれだけのテンションになったんです。
発売中
価格:2,000円(+税)