50歳の“最年長若手芸人”銀座ポップ、あるあるラップ誕生までの軌跡に迫る

2020/12/02 21:31 配信

芸能一般

銀座ポップ


――お笑いに取り組みはじめたのはいつのころですか?

大学で、友達とネタをつくったりしながら、お笑いっぽい活動をしていたんですけど、1990年前後って、渡辺プロダクション、太田プロダクションなどの事務所の「ネタ見せ」で合格しなければお笑いライブには出られない、そんなシステムでした。

だけど、ネタ見せのシステムがどうしても肌に合わないっていうか。2、3人の大人の前で面白いことをできなかったんですね。自分が思い浮かべていたお笑いとは違うような気がして。「なんで怖い大人の前でやんなきゃいけないのか。これ、できないな」って感じで。

大学を出て、洋服屋さんでアルバイトして。そうこうしているうちに30歳になった。「30になっちゃった、でもお笑いはやりたい、どうしよう」と思ったときに「これはよしもとのNSC(吉本総合芸能学院/吉本興業の養成所)行かなきゃだめだ」と思い立って。31歳、2001年ですね。2001年の4月から。NSC東京の7期です。そこでもネタ見せとかあるわけで、一生懸命ネタ見せとかやって、卒業したんですけど、所属には引っ掛からなかった。

――そこから時は過ぎ…。

お笑いやりたいけどネタ見せも受かんないし、よしもと行ったけど引っ掛かんなかった、アルバイトしながら35歳になっちゃって。で、オフィス北野に行こうと思い立ったんですよ。だけど、オフィス北野に電話したら、ネタ見せはやってないということでした。

ちょうどその頃、オフィス北野(現在はワイエムエヌに移籍)のなべやかんさんが毎月ライブを開催していまして。その掲示板があったんですね。パソコン上の掲示板。そこに「芸人志望なんでお手伝いでもなんでもいいんで関わらせてもらえないでしょうか」と連絡したら、「よし、来い」って言われて。

35歳の春から、なべやかんさんのお世話になり、そこから毎月ライブに出られるようになったんですよ、やっと。ネタ見せもなく、出られる環境に初めて行けて。月一回は出るようになりました。で、ずーっとその状況を続けて、10年ぐらいやかんさんのライブは手伝わせていただきました。

そんな中でオフィス北野でもネタ見せが始まって。「フライデーナイトライブ」というオフィス北野の若手をアピールするライブのためのネタ見せです。40歳くらいだったかな。僕はやかんさんの手伝いはしてたけど、事務所所属にはなってなかった。ネタ見せがあるならそこから所属につながるかもしれない、と考えて、オフィス北野のネタ見せに行き始めたんです。「フライデーナイトライブ」でいろんな審査があって、審査をクリアした人は所属になれるんですけど、その審査をクリアして一応所属になったんですね。それが42歳のとき。で、今に至ります。

だから、自分の中では、35歳からちゃんと芸人を始めたって感じですね。

関連人物