――“金継ぎ”というコンセプトで、人間のさまざま面を表現した今作ですが、その中で共通していることや、あるいは強く出たかなと思う面はありますか?
壊れていく様というか…壊れている最中の人って、すごくスピード感があって美しかったりして、私は見ていて結構好きだったりするんですけど、私もスピード感でいうと、焦燥していないと生きている感じがしない方なので、そういうものを描いています。
でも、世の中的には今はどこを見ても壊れている状況で。その中でそれが勝手に直っていくとか、勝手に終わっていくんじゃなくて、自分で拾い集めて、つなぎ合わせて、つなぎ止めていく。バラバラになったかけらを「ここかな?」って自分でつなぎ止めていく感覚っていうのが、これからの時代に必要なものだなっていうことも思っていて、その“壊れて、直す”というところまでをアルバムで描けるなって思ったので『Kintsugi』というアルバムにしました。
壊れているとか、狂っているとか、何でもそうだけど、自分が自分で「壊れているな」と思う面と、自分が思っていても他人にはそう思われてない面と、自分は思っていないけど他人に思われている面は結構違ったりするので、その辺りの使い分けとかは結構楽しく、曲によって変えて作ったかなって感じはします。
でも、曲を作るときはバランスを結構大事にしていて、“湿度”というイメージが自分の中にはあるんですけど、簡単に言うと「すごく悲しいことはなるべくキャッチーに、頭に残るポップなメロディーで」とか、楽しいことには湿気を感じさせる音とか歌い方とか、どこか片側に寄ってしまわないようなバランス感覚はすごく意識しています。
なので、本当にどん底のどうしようもないところでの暗い曲みたいなのは、自分の中にはないんじゃないかなって思います。
――アルバムを通して聴いてみると、徐々にテンポが速くなっていって、最後2曲で落ち着いてくるというか、収束するような印象を受けたのですが、曲順で考えたことはありますか?
アレンジャーさんが曲によって違って、それによってエンジニアさんも違ったりするので、全体の並びというよりは1曲ずつのつなぎ、次の曲との矛盾が現れないように意識しなきゃいけないですね。
加えて、「日が暮れていって、夜になって、朝が来て」という“流転”のコンセプトもあって。夜のどん底のイメージというのがすごく好きなので、いつもアルバムは夜のどん底に行って終わりたいんですけど、でも夜の“どん底”の意味が分からない、夜って朝が来るまでの流転の途中経過でしょ?って方もいらっしゃって。
終わりが“夜”ならCDを再生すれば“朝”が来るわけなんですけど、今回は再生したときに来るのが“夕方”っていうところが気に入っています。夕方から夜になっていく感覚がすごく好きだなって。
あとは、時間軸って気持ちとか音楽でずらせるものだと思っていて、時代がたつにつれてなぜか3次元のものが2次元化していったり、むしろもう次元なんかなくて、文章も“文章”ですらない“言葉”の方が、言葉の手触りを排除した一面的な意味合いとかの方が拡散されていく時代に、もうちょっと多次元的に言葉や音楽を描きたいって気持ちもありました。
その「夕方をもっと拡張したい」とか、「夕方の4時44分が2時間ある感覚にしたい」とか、そういう操作を音楽ではできると思っているので、そういうところが描ければいいなっていうこともあって、“最初が夕方”っていうところには結構こだわりがあります。
<『Kintsugi』インタビュー後編>に続く
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