大森靖子「“カウンターカルチャー”になっちゃうんですよね、自分が」<『Kintsugi』インタビュー後編>

2020/12/09 11:05 配信

音楽

大森靖子撮影=石塚雅人/衣装=rurumu:

――これも先に配信されている曲ですが、「counter culture」は女性目線の曲が多い今作の中で、男女共通した視点で、表現もストレートなのかなと感じました。

今回は結構どの曲も、これまでのアルバムよりも自分のことをちゃんと歌っている曲というか。この仕事っていろんなものを見て、自分のフィルターを通して何でも描ける人じゃないといけないというのがあったので、自分のことを歌っているという感覚があまりなかったんですけど、今回は、全部本当って訳でもないんですけど、自分の中の何かをちゃんと表現しようという気持ちが強くありました。

「counter culture」は、“カウンターカルチャー”になっちゃうんですよね、自分が。自分の音楽で描くこととかが早過ぎる感覚があって、4~5年後とかに同じことをやっている人の方が評価されたりするのを見ていて「ちょっと早いのかな?」っていうのはいつも、別に卑屈な気持ちとかじゃなく、単に早かったなという事実として思っていて。

それで「何でだろう?」って思っていたときに、カルチャーの循環って“カウンター”が連鎖していたりすると思うんですけど、まだカウンターになる前にメインのカルチャーに疑問符を持つのが早過ぎるんだろうなって。

大きい話になるかもしれないけど、“平和”って、人も街も変わって、地球に乗っている思想がどんどん変わっていくから、「これが絶対的な平和です」っていう理念とか正義って絶対になくて、「今正しい平和はどれだろう?」っていうことが議論され続けなければいけないものだと思うんですよ。それが議論され続けるものであるために、ずっと今あるものが何であっても疑問を持ってしまうように生まれてしまった種族みたいな人が多分いると思うんですよ。ある一定の割合で。

人間がうまく進化するためにずっと「疑問を持て」というアイデンティティーを脳に植え付けられた種族だって自分のことを思っていて。そういう人って他にも一定の割合でこの世界にいると思うし、だから性格がこんなにあまのじゃくなんだなって思うけど、それは性格だからしょうがないなって。

“カウンター”側に立ってしまうのが早過ぎるから、いつも評価が追いつかないっていう感覚になるんだなっていうことをすごく考えた曲です。

――感覚が早過ぎるという点で、周りも同じくらいの感覚だったらいいのにって思ったりはしますか?

他人に同じ感覚は求めてないけど、早過ぎると批判が多くなるので、疲れることは多いです(苦笑)。で、後から「やっぱりこうだったじゃん」って思うことは多いですね。でも、そのときにはもう自分はそのことに興味がなくなっているので(笑)。

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