BC級戦犯となった元海軍一等兵曹の平和への思いを伝える<九州沖縄ドキュメント ムーブ>

2020/12/11 10:54 配信

芸能一般

12月13日(日)放送の九州沖縄ドキュメント ムーブ「永遠の平和を ~あるBC級戦犯の遺書~」より。横浜軍事法廷の様子

JNN九州沖縄7局のブロックネットで放送されているドキュメンタリー番組「九州沖縄ドキュメント ムーブ」(毎週日曜朝5:15RKB毎日放送、JNN系列九州各局でオンエア)。12月13日(日)はRKB毎日放送製作、「永遠の平和を ~あるBC級戦犯の遺書~」を放送する。石垣島でアメリカ人捕虜を処刑した事件により、20代後半で命を絶たれた元海軍一等兵曹の遺書には、戦争反対、世界平和への強い思いが刻まれていた。

1945年、日本はポツダム宣言を受諾し敗戦。宣言の中には「戦争犯罪人を処罰する」ことが盛り込まれており、東京の戦争犯罪人収容施設・スガモプリズンでは、A級戦犯7人が絞首刑になった。

捕虜虐待などの罪を問われ、連合国各国の軍事法廷で裁かれたBC級戦犯で処刑されたのは920人にも上る。

アメリカの第八軍による横浜のBC級戦犯裁判では53人の死刑が確定し、スガモプリズンで執行された。

そのうちの一人、藤中松雄さんは現在の福岡県嘉麻市(かまし)の出身だ。

農家に婿入りした藤中さんは1942年、20歳で海軍に入隊。終戦の年の4月、沖縄県の石垣島で米兵捕虜3人の処刑現場に立ち会うことになる。連日、空襲が続く中、撃墜された米軍爆撃機から脱出した搭乗員に「亡くなった戦友の仇討ち」が行われたのだ。41人もの日本兵に死刑が宣告された「石垣島事件」だ。

亡くなってから70年となる2020年、藤中さんの法廷での姿が初めて確認された。藤中さんは妻や二人の幼い息子に長い遺書を残している。そこには、「戦争は絶対反対」「世界永遠の平和」といった平和を希求する思いがつづられていた。報復の応酬が生んだ戦争の悲劇により、28歳で命を絶たれた青年が遺した言葉を伝える。