新型コロナウイルスが初めて確認され、1月に都市封鎖が行われた中国・武漢市からの日本人救出活動の真相を独自取材した番組「報道2020総括SP コロナ知られざる作戦 武漢脱出緊迫の舞台裏」(昼4:05-5:25、フジテレビほか)が、12月20日(日)に放送される。プレゼンターは安藤優子。
現地に5回にわたりチャーター機を派遣し、828人を救出したオペレーションはどのように進められたのか、そしてその時何が行われていたのか、安藤が「武漢脱出作戦」に携わったキーマンたちを直撃取材。関係者の新たな証言や、独自に入手した写真・映像から、日本で初めて感染症を受けてチャーター機を派遣した緊迫の救出活動の舞台裏に迫る。
1月23日未明に突然、都市封鎖された中国・武漢市。道路は封鎖、そして鉄道、航空機も全てストップ。完全に孤立した武漢市から日本人を救出するためのオペレーションが日本で動き出したのは、翌24日のことだった。
しかし武漢には日本大使館の関連施設がない。取り残された日本人を救うため、北京にある日本大使館から8人の外交官が武漢に向かうことになるが、北京から武漢までは約1200kmも離れている。全ての交通がストップする中、8人は手を尽くし、17時間かけて武漢へたどり着く。
当時、北京にある日本大使館で特命全権公使を務めていた植野篤志氏が、時間との闘いの中での救出オペレーションの舞台裏を安藤に語る。8人の外交官たちの奮闘と現地の日本人の協力、さらに現地の中国人たちの尽力が明らかとなる。
さらに安藤は、茂木敏充外務大臣も取材。チャーター機派遣を巡り、中国とどのような外交交渉が行われていたのかを解き明かす。
日本人を救出するチャーター機を運航したのは全日空だった。1月28日未明に中国からチャーター機の運航許可が下るが、その夜、羽田空港からチャーター機が飛び立つまでの間には「このままでは日本から出発できないのではないかという焦りはありました」と全日空の社員が振り返る、時間ギリギリのオペレーションがあった。さらに武漢到着後には、とある問題も発生。チャーター機を武漢に飛ばした機長が当時の心境を語る。
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