色素性乾皮症の少年とその一家10年の記録から、家族のありようと生きることの意味を問う

2021/02/06 06:35 配信

芸能一般

2月放送の「第35回民教協スペシャルおひさま家族〜りんくん一家10年の記録〜」より

第35回民教協スペシャルおひさま家族〜りんくん一家10年の記録〜」が、2月にテレビ朝日(6日[土]朝10:30‐11:25)ほか民間放送教育協会(民教協)加盟の全国33局で放送される。太陽の光と闘う色素性乾皮症の少年が家族と共に歩む日々を記録したドキュメンタリー。全国加盟局の応募企画の中から選ばれ、静岡放送が制作した。

色素性乾皮症は、紫外線を浴びると皮膚にやけどのような症状が出て、やがて皮膚がんを患ってしまう病気。神経障害も伴い、30歳ぐらいまでしか生きられないと言われている難病だ。日本全国で500人ほどの患者がいる。

静岡県富士市に住む清麟太郎(せい・りんたろう)くん(17歳)は、生後10カ月でこの病気の宣告を受けた。

6歳の頃の麟太郎くんは、日中こそ日光を遮断する帽子や服が手放せないものの、日が沈むと外に出て自転車を軽やかにこぎ、大好きなシャボン玉に興じる少年だった。祖父・利男さんの新聞配達の手伝いもすすんで行っていた。

りんくんは自転車遊びが大好きだった(12歳)

手押し車を使っての新聞配達の様子(13歳)


小学校高学年になると病状は明らかに進行した。自転車には乗れなくなり、歩行器を使うことが多くなった。

だから、小学校最後の持久走大会は特別なものとなった。周囲の誰もが途中で棄権すると考えていたが、麟太郎くんは、同級生から大きく離されながらも、2キロを最後まで走り切った。「持久走大会を走り切ればまた1年頑張れる」と願う家族全員の期待に応えた。

小学校生活最後の持久走大会(12歳)


12歳で歩行困難が出現し、15歳で起立不能、16歳で車いす使用が平均的だという、その機能低下の経過を麟太郎くんもたどっている。麟太郎くんにとって「生きること」とは、死に向かってのスケジュールをたどることなのだ。言語発達も遅れが生じ、最近では補聴器なしでは音も聞き取れない。

治療方法がない難病。だからこそ家族は、記憶として残せるうちに多くの思い出を作ろうとしてきた。毎年、日が暮れてからサクランボ狩りに出掛け、祖母・文子さんは孫の生きた証を残そうと彼の言葉をつづった絵本を作った。手話を勉強する兄弟、優しく寄り添う父と母。

祖母・文子さんが自費出版した、りんくんの言葉をつづった絵本


そして、今。17歳になった麟太郎くんは、車いすを使うことが多くなり、大好きだった新聞配達はできなくなった。家族との会話も一層困難になっている。今後、運動機能の低下が進むと、やがて嚥下(えんげ)困難、呼吸困難による気管支切開が心配される。

寄り添い続けている家族の状況も変わってきている。祖父母は老い、以前のように麟太郎くんの世話をするのが難しくなり、家の至るところに手すりが取り付けられた。兄・龍太郎くんは大学2年生、弟・道太郎くんは中学2年生となり、それぞれの人生、生活を送っている。

清さん一家は誰もが、この17年を振り返った時、「楽しかった」「幸せだった」と言う。

限られた麟太郎くんの時間。もし、生まれた時から「生きる時間」が決まっているとしたら、人は、家族はどのような人生を歩むのか。SBSが取材した10年の記録は、家族のありようと生きることとは何かを問う。

この番組を手掛けたのは、静岡放送報道制作局(SBSメディアビジョン所属)の中村潔ディレクター。10年前のあるきっかけから、清さん一家とのお付き合いを始め、これまでSBSの情報番組や特別番組で一家の様子を伝えてきた。民教協スペシャルでの放送にあたり、中村ディレクターにインタビューした。