――そもそも、ナターシャさんが芸人を目指したきっかけはなんだったんでしょうか?
大阪出身で、漫才の番組はよく見ていたんですけど、「爆笑オンエアバトル」(1999年~2010年、NHK総合)などをきっかけに「コント」というジャンルに魅力を感じたのが大きいです。あと、それまでお笑いっておじさんがするもんだと思ってたんで、若い人がいることも新鮮だったし、かっこいいなと思ったんですよね。
――ニュークレープはどのように結成したんですか?
大阪NSC時代、M-1に出るために一度組んだんですよ。在学中では珍しく3回戦ぐらいまで行ったんですけど、そこでデビが「他のやつともやってみたい」って言うので解散しました。
それから僕もピンでやったり別のやつと組んだりしていたんですけど、3年くらいたってデビが1人でやってると聞いて、誘ってみたんです。それでトリオでやろうという話になり、広島で就職していたリーダーを車で迎えに行って「やり直そう」と。でもリーダー、養成所時代は明るいひょうきんなキャラだったのに、社会にもまれて全然面白いことを言わなくなっていたので、ちょっと引きましたね(笑)。
ちなみに、僕の芸名「ナターシャ」を決めたのはリーダーです。本名が中田なんですけど、それをなかた、なかーたー、ナターシャでいいだろうって派生させて。でも名付け親の彼はもう飽きてて、僕をナターシャとは呼ばないです。ナッティって呼びますね。
――ニュークレープでよく披露されている擬人化ネタについて聞かせてください。
単純に自分が擬人化ネタを好きで、いくつかのネタの中の一つとしてやっていたんですけど、比較的反響が良くてメインになっていきました。自分がアイデアを出して、みんなで仕上げていくスタイルですね。雑誌を擬人化したネタは結構気に入っていて、TV番組のオーディションでもほめてもらったことがあるんですけど、なにせネタの中に「りぼん」「(週刊少年)ジャンプ」「(週刊少年)サンデー」が出てくるので、「面白いけど集英社と小学館から許可取れないから、ごめんな!」って謝られました。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)