――先輩に囲まれた撮影現場はいかがでしたか?
一緒にお仕事をさせていただいたことのある方もいらっしゃったので、変な緊張感はなく、ほとんどのシーンで同じ方々との撮影だったので、皆さんと濃い時間を過ごすことができました。
――伊藤淳史さんと内山理名さん、両親役としては若いですよね。
お若いですね。でも、大森監督がおっしゃっていたんですが、(砥部町は)若いうちに結婚される方が多いそうで、そういうお話を聞くと違和感はなかったです。
――大ベテランの橋爪功さんとの共演はいかがでしたか?
すごく覚えているのが、みんなで砥部焼を作るシーンがあるんですけど、橋爪さんがプロすぎて…(笑)。地元の方々からも「本当にやっている人の手つきだ」と言われていたので、そこは橋爪さんの長年の俳優人生が見えた瞬間というか、鳥肌が立ちました。
それに山を登るシーンでは、斜面が急な所での撮影だったんですが、橋爪さんがすごく格好良いんですよ。率先して上に上がって、手を引っ張ってくださいました。
――吉岡秀隆さんと二人だけのシーンもありましたね。
吉岡さんとは映画で親子役をやらせていただいて、それから半年もたたないうちにまた共演させていただいたので、「久しぶり~」って感じでした。(二人のシーンでは)安心して身を委ねてできたんじゃないかなと思います。
――全編砥部町でのロケだったそうですね。どんな町でしたか?
本当に皆さんが温かく迎えてくださったんです。作品に入ったときに地元の皆さんとお食事をする機会があったんですが、そこでいろいろなお話を聞いたり、毎回おいしいものも用意してくださったり、本当に皆さんの温かさに触れることができました。
最初に訪問したとき、じゃこ天を初めて食べたんです。それがすごくおいしくて、それから毎日お昼にじゃこ天を出してくれて(笑)。地元の方が「おいしいんだよ、食べてね」って薦めてくださって、お土産でもじゃこ天を買いました。
――大森監督の地元なんですよね。
そうです。監督のご実家が近いとか、いろいろお話を聞かせていただきました。撮影中も、監督から直々に方言のイントネーションや地元ならではの話を教えてくださったり、いろんな面ですごく助けていただきました。
――当初は昨年7月に公開の予定でした。新型コロナウイルスの影響で延期が決まったとき、そんな心境でしたか?
しょうがないかという気持ちもありつつ、楽しみにしてくださっていた方々もいらっしゃったので、悔しいなとも思いました。
実は、(撮影の後から)砥部焼を使っていたんです。お料理のお皿やマイカップも砥部焼なので、(約10カ月の間も)常に忘れることなく触れてこられたので、この作品がいつも身近にあった気がします。
(砥部焼の皿を使うと)今でも撮影の思い出が蘇りますし、友達にもプレゼントしたんですが、遊びに行ったときに使ってくれているのを見るとうれしい気持ちになります。
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