――なかでも印象的な回やエピソードはありますか?
まずはコロナ禍になってスタジオにも行けず、家で収録していた時期もありました。そんな時期を経てからようやくスタジオに戻ることができた時はとてもうれしくて…。
これまでの状況にいい意味でも悪い意味でも慣れてしまっていましたが、自分でどうにもすることができない状況を経験すると、当たり前だったことがいかに大切だったんだということを実感しましたね。
そんな状況の中、歌舞伎役者の先輩方にゲストとして電話出演していただくこともありました。
歌舞伎役者にとって毎日舞台に出るということは日常。それができないということに対する先輩方の捉え方や受け止め方ってそれぞれでとても面白かったです。
坂東玉三郎のお兄さんの「休みというのは次にやることが決まっていて、それまでに空いている期間。何の予定もない状況は休みではなく、“無”である」というお話はとても印象に残っています。
また、中村獅童のお兄さんに電話出演していただいた際には、「痛みとか辛さとか、ケンケン(右近の愛称)にしか分からない感情を大切にした方がいい。そうしたらケンケンの個性が出てくるし、ケンケンにしかできないお仕事というものがたくさん生まれてくると思う」と言ってくださったんです。
歌舞伎以外のお仕事をさせていただくにあたって、中村獅童のお兄さんの存在というのはすごく大きいんですよね。
お兄さんは多くの作品に出ていらして、それこそ“有名人”ですが、そんな方が「有名になりたかった」という風に言葉にしていらして…。
その言葉になんだかグッときて、収録中にも関わらずずっと泣いてしまうという(笑)。こんな経験は初めてでした。
色んな思い出はたくさんあるのですが、その時に伺ったお話や感じたことは自分の中でとても大きいです。
お兄さんも「ラジオってこと忘れてた」とおっしゃってくださって、それだけ思いをぶちまけてくれたなぁ…と。
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