――映画「クルエラ」ではクルエラの若い頃が描かれていますが、これまでのクルエラ像から印象が変化した部分はありましたか?
クルエラは自己演出が上手な人だと思うんですけど、今回の映画は「そうなるに至るまでの物語」なので、そこのギャップはあってもいいのかなと思いながら。
あと、若いときの方が何に対しても必死だし、一生懸命じゃないですか。“完成されたクルエラ像”っていうのはもうすでにあるんだけど、それはそれとして、ここから20年くらい経つとああなるんだろうな、と思いました。自分の人生においても20年前と今とでは全然違いますし…。
――柴咲さんご自身の、デビュー当時の仕事への向き合い方はいかがでしたか?
“やりたいこと”と“できること”のギャップもまだある中で、“やりたいこと”を目指す思いがあるからこそのアンバランスさがありました。
あと、私は好きな仕事に対しては没頭できるのですが、“そこについてくる仕事”もあると思うんですよね。もしかしたらこういう取材もそうかもしれないんですけど(笑)、自分のお芝居を自己評価して共有・拡散していかないといけない。役者が、それを語らなくてはいけないというのはとても難しいことだと思っていました。
そんな中で「全然関係ないバラエティーに出ます」とかってなると、いよいよ「何やってるんだっけ?」と思えてしまって。若いころは本職ややりたいことから離れていってしまうことへの葛藤があって、居心地の悪さが顔に現れることが結構ありました(笑)。
――20年間で、そこに対する意識の変化はありましたか?
そうですね。自分自身が“作る側”に回ったこともあって、何を作るにしても「いろいろな人が携わっていないとできないことなんだな」と実感するようになりました。「お金ってこうやって集めるのか…」とか「全然欲しいところに人が来ない」とか、裏方の苦労を知った事が大きいです。
後は広く人付き合いをしていく中で見えてくるものもあって、それも作用していると思います。
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