山田裕貴、“芝居”に対する熱い思い「演じる役がちゃんとそこに生きているという意識を強く持つ」<Interview>

山田裕貴がインタビューに応じた 撮影:永田正雄

――1998年の長野オリンピックを題材にした本作に出演することが決まった時の率直な感想は?

実は、あの大会をテレビで見ていました。小2の頃だったと思うんですけど、家のテレビがついていて母親がキッチンに立っていた光景を今でもはっきりと覚えています。

日本が金メダルを取った時の実況も耳に残っていますけど、あの偉業の裏にテストジャンパーという方たちがいたことは全然知らなかったです。今回、原作を読んでそんなに大変なことがあったのかと。当時は全くメディアで伝えられなかったことなのでびっくりしました。

――聴覚障害のあるテストジャンパー・高橋竜二を演じる上で心掛けた点は?

竜二さんご本人にお会いした時に、他の選手たちは1人のスキージャンパーとして自分と接してくれたという話を聞いたんです。聴覚障害だということを気にする人は誰もいなかったと。竜二さん自身もそれがハンデだとは思っていなかったそうです。

もちろん、日常生活では大変なこともいっぱいあるけどテストジャンパーとしては、ただ飛ぶことだけを考えていた。その竜二さんの思いを大切にしながら演じました。

――役作りに苦労することはなかった?

どういう話し方がいいのか、いろいろ考えました。聴覚に障害がある方とお話しをする機会があったので、どの音がしゃべりづらいのか教えていただきました。

セリフがちゃんと聞こえるギリギリのラインはどこなのか。その部分は飯塚監督と話し合いながらやっていきました。それ以外は細かく言われることはなかったですし、僕からこんなふうに演じたいとリクエストしたこともなかったです。

――飯塚監督の作品は「虹色デイズ」(2018年)以来ですね?

「虹色デイズ」の前に、飯塚さんの作品のオーディションに参加したことがあるんです。でも、その時にセリフをすっ飛ばしてしまって…。泣きながら自転車をこいで家に帰ったことを今でも覚えています。しかも、その日はクリスマス(笑)。あのオーディションのことを忘れたことはなかったです。

今回、物語終盤の竜二のシーンを撮り終わった時に飯塚さんが遠くから歩いてきて「裕貴、めちゃくちゃいい顔してたよ」って言ってくださったんです。その言葉を聞いて今までのことが全部救われたというか、あのオーディション以来ずっと背負っていた十字架のようなものから解放された気分に。この作品に参加できてよかったなって心から思いました。

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