――物語に、ララの婚約者のピーターというキャラクターが登場します。ララと親しくなったマルコを陥れる人物でもあるわけですが、マルコがピーターに復讐するシーンも、彼がララから三下り半を突き付けられるシーンもありませんでした。ピーターが罰せられることで留飲を下げたかった、そんな気持ちもしたんですが、なぜ西野さんはそれを描かなかったんですか?
たとえば、僕が何かアクションを起こすと必ず(ネガティブなことを)言ってくる人がいるんです、「これに絡んだら再生回数を稼げる」とか「アンチの票を取れる」とか。でも、彼らを懲らしめたところで何も終わらない。次にアクションを起こしたら、またネガティブな反応が来て……これを全部終わらそうと思ったら、論破みたいなことはまったく不毛だなと思うんです。そんなことより、僕は「生きる」っていう。
「やり返す」のは結局、いつまで経っても恨みの連鎖みたいなことで、しかも僕は何か言ってくる人に対してやり返そうと思ってこの世界に入ったわけじゃない。面白いものを作ろうと思ってこの世界に入ったので、この人たちに時間を使うのは、まったく無駄だなあって。(西野の先輩でお笑いコンビの)ロザンの菅広文さんがこの点について、「(懲らしめない西野は)優しいようで結構残酷」みたいなことをYouTubeでおっしゃってたんですけど、まったくその通りだと思います。自分の時間には限りがあるので、相手している時間がもったいない。だからやり返すのはやめました。
――復讐劇を描かないのは優しさでもあるんじゃないですか。西野さんは否定してくる相手にも寄り添おうとするじゃないですか。他人の気持ちや正義に寄り添う人だから、誰かを罰するような気持ちにならないのかな、とも思ったんです。
何でこの人はこんなことを言うんだろう、どんな理由があるんだろう、っていうのは考えますね。それで、映画ではバッシングしてしまうほうも描いたんです。絵本では尺が足りないのでそれは描いてないですけど、考えはしますね。そうするとやっぱり、攻撃する人にも正義があるんだろうな、褒められた正義かどうかはともかく、一応正義はあるんだろうな、って……。なんかね、「懲らしめてやったぜ、ガハハハ」で終わるような話はあんまり好きじゃないんですよね(笑)。
――絵本では「勧善懲悪」だとか、教育的なテーマが主題になるケースが多いじゃないですか。西野さんは「悪い行いをしたら罰があたる」みたいなことはテーマにしたくないということですか?
そうですね、無理に“教育”みたいなものを絡めるのは……。「日本」のことを考えたときに、今なんでこんなに国がヘタっちゃったのかというと、シンプルに「海外に売れるものを作ってない」っていう(笑)。味方同士、村の人同士で懲らしめ合って――AさんがBさんを懲らしめて、今度はBさんがAさんを懲らしめる――これを30年ぐらいやってきて、その間、何も生産しなかったっていうことで国が貧しくなったと思うんです。となると「悪いことをしたら罰せられますよ」ということよりも、「物を作らなきゃダメだよ」ということを教えたほうが、はるかに有意義だと思うんです。だから、悪いことしたら怒られるよとか罰が当たるよって、何も生み出さない感じがするんですよね。
――でも、どこかでピーターがララにフラれている証拠は探したかったんです(笑)。すると裏カバーに、口を綴じるヒモがなくなったマルコとララの2ショットを発見しました。
まあ、どっかでフラれてると思うんですけど(笑)、だから、わざわざ描かない。
――今後、「みにくいマルコ」のその後が描かれることはあるんですか?
あります、あります。また、マルコは出てくるんです。ちょうど今描いてる絵本が、『えんとつ町のプペル』の続編なんですが、そこでちらっと出てくるかもしれないですね。マルコの口の紐をすっと抜く瞬間があるんで。「君は何を黙らされてたんだ」っていう瞬間が来るんで。(えんとつ町を舞台とした物語は)長い話なんですよ。
――西野さんは「ハッピーエンドしか描かない」と公言されているじゃないですか。ただ、マルコを読んでも、やっぱり西野さんの「ハッピーエンド」の定義が普通じゃないと思うんです。現在の西野さんにとっての幸福って何なんでしょう。
「まあ(いずれ)死ぬな」と思ったんです。肉体はどこかでなくなるじゃないですか。ただ、作品に関してはなくならない。例えば、仮に花火を上げ始めたのが僕だとして、もし僕が死んだとしても、花火が皆に望まれているものであれば、来年も誰かが上げてくれるわけじゃないですか。で、そうやって続いたら、「この花火を作ったのは50年前の西野っていうヤツだよ」って形でこいつは存在できるじゃないですか。
「誰かと結ばれる」とか、「何かを得る」っていうことよりも、自分が作ったものが死んだあとも世の中に残ることのほうが幸せになっちゃったんです。僕は今、会社で動いている人間なんですけど、ちゃんと確かなものを作っておけば、20歳下の後輩とかそのご家族が食っていけるので。以前はもっともっと私利私欲だったんですけど――まあ今も私利私欲であることは変わらないですけど――その欲みたいなものの中でも、「次の世代が食えるか食えないか」っていうことのほうが重要度が高くなっちゃったっていうのがありますね。だから人と結ばれたいとか、そういうことに興味はあんまりないですね。
――男女に置き換えると、求めるっていうことよりも、与えていくっていうことのほうが、西野さんとしては幸福の在り方として美しい、ということなんですか?
そうですね、僕は。その代わり、花火を作れないっていうことは苦しくて仕方がないんです。作品しかない。そっちになりましたね。
――でも、多くの人は西野さんのようには花火を打ち上げられないですよね。
だから、共感もへったくれもないなと思うんです。でも、それでいいなと思ったんです。自分のエゴを出してるんだから、皆が共感できるものを作ってどうするんだ、っていう。作り手の苦悩とか、世界戦に打って出たヤツのストレスだとか恐怖だとか寂しさみたいなものが、共感できるわけがないじゃないですか。人生でうれしいと思うことって、たぶん一般の方だったら「子供が生まれた」とか「結婚した」とかだったりすると思うんですけど、僕は明らかにそっちではないので。「まあ共感はされないな」ってちょっと諦めてますね。だからこそ作品の意味がある。自分と全然違う価値観がこの作品の中で広がってるっていうことに意味があると思い始めました。
――この「みにくいマルコ」ですが美しい愛の物語の裏で、西野さんの宣言――直接会ったりという形じゃなくて、花火を打ち上げることに魂のすべてを注いで、遠く離れたところからできるかぎり美して楽しくて幸せなものを届ける――ということになるんでしょうか。
まさに、まさに。あとやっぱり、例えその人がどれだけ愛しかろうが、自分の時間を誰かひとりだけに使ってる場合じゃない、っていう。だから結局、作品になりましたね。
西野亮廣●にしの・あきひろ。芸人、絵本作家。2009年『Dr.インクの星空キネマ』で絵本作家デビュー。第4作絵本『えんとつ町のプペル』が70万部に迫るベストセラーとなり2020年末に映画化。興行収入24億円をこえる大ヒットを記録し、日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞を受賞。またアヌシー国際アニメーション映画祭ほか世界各国の映画コンペティションにノミネートされるなど、快進撃を続けている。
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