スタジオにはKis-My-Ft2を中心とした、ジャニーズグループの大きな出来事が記された年表が登場。藤ヶ谷はそれを見ながら、2003年にNEWSがデビューした辺りから、自分たちが脇道なのでは?と感じ始めたという。当時、千賀は地元・名古屋でNEWSなどのバックについて踊っていたが、ジャニー喜多川氏から東京に来たらデビューできると言われて上京。しかしそこから「8年間くらいデビューできなかった」と言い、「いつ俺デビューできるの?」と思っていたという。
一方、年齢は上になるが、亀梨和也や中丸雄一、増田貴久らと事務所に入ったのは同時期だったという藤ヶ谷。彼らが自分より先にデビューしていく中、特に増田とはNEWSのデビュー当時、同じ高校に通っていて、最初にシルエットでメンバー発表が行われたことで、学校の先生から藤ヶ谷も一緒にデビューするものだと勘違いされたという。
だが、誰がデビューするかは明かせないことから、自分が入っていないことも言えなかった藤ヶ谷はのちに「すげぇ変な空気になった」という。さらに、NEWSのデビュー後、増田は忙しくて学校にあまり来られなくなったが、藤ヶ谷は「僕は皆勤賞で行ってました」と明かした。
2007年にはHey! Say! JUMPがデビュー。横尾は自分と北山、藤ヶ谷、宮田は“昭和生まれ”だったため「昭和の俺たち無理じゃん」「平成(生まれ)の子たちしか(デビューは)無理なんだ」と思ったと明かす。当時、千賀の母親は、自分の息子には聞けず、藤ヶ谷に息子がデビューできるのかと質問。正直、自分すらデビューできるか分からない藤ヶ谷だったが、千賀の母親から「健永はデビューできるの?」と詰め寄られたという。
2011年に念願のデビューを果たすも、横尾は「3カ月後にはSexy Zoneがデビュー」し、「事務所はそのときにはSexy Zoneで動いている」と指摘。さらにSexy Zoneのデビューの際、藤ヶ谷と北山は助っ人として参加。まだ自分たちもデビューしたばかりで売り出したい時期にもかかわらず、客席に背中を向けてSexy Zoneを紹介する役を命じられた藤ヶ谷は、当時、ジャニー喜多川氏に疑問をぶつけたが「V6だったらイノッチ(井ノ原快彦)もやってるから」と、「訳の分からない」言い訳をされたと話した。
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