――どきどきキャンプとしては2008年、「爆笑レッドカーペット」での「24」ネタでブレイクしましたが、当時を振り返ってみていかがでしょうか。
当時は、僕が夢見ていたラジオの片鱗を少しずつ掴んでは掴み切れずのときで、「オンエアバトル」でも5回に1回ぐらい受かるぐらいでした。お笑い芸人としては認めていただいているけど、飯は食えないという状態で。
そんななかで、ちょうどショートネタブームが来たわけですが、岸と「もう解散しよう」と話していました。もう30にもなるし、お笑いでやる難しさも感じていて、風呂なしのアパートにいつまで住んでるんだとも思ってましたし、モラトリアム的に夢を見させてもらう時間もそろそろ終わりかなと。
で、第何回か目の単独ライブをやった後に、「もう解散だな」と2人では一致してて、当時のマネージャーにも話しました。先の仕事も入っていたので、あとは解散のタイミングをどうしようかという状態でした。解散したら、僕は芸人も辞めるつもりでしたね。
――そうだったんですね…。
そういった中で、ちょうどフジテレビのネタ番組「爆笑レッドカーペット」が始まりました。解散を決めている僕らも、向こうはそうとは知らずにオーディションに呼んでくださって参加しました。僕らにはショートネタがなかったんですが、たまたまライブでやっていた「24」のネタを短くして披露しました。解散を決めているので、オーディション会場でもネタ合わせをほぼせずに適当にやったら受かっちゃったんですよ。
1回目の収録でものすごくウケて、すぐに次の収録にも呼んでもらえることになり、それ以降は怒涛の「ネタ番組に呼ばれるブーム」が来ましたね。5月ぐらいからテレビに出始めたんですが、9月にはバイトを辞めました。バイトを辞めたことがある種、「芸人を続けていい」という印鑑で、解散を決めていたけど、「仕事もあるしやろうか」と岸と話してそのまま続けることになりました。
――お話を聞いていると、解散を決意していたというものの、岸さんとの関係が悪くなったから、という感じではないんですね。
そうですね。そもそもドライなコンビではあったのですが、仲が悪くなったりはなかったんですよ。今ぐらいの感じで、ずっと淡々としている感じで。岸もああ見えてお笑いには熱い男なので、全然コンビの空気が変な感じになることはなかったですね。コンビ組む時に岸も僕も、「それぞれが活躍しないとコンビとして活動する意味ないから」とずっと言ってましたし、コンビのスタンスはずーっと変わらないと思います。
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