サトミツ、コンビ解散危機を明かす「芸人も辞めるつもりだった」【連載:佐藤満春って何者?】

2021/09/15 11:30 配信

バラエティー インタビュー 連載

ブレイク後の絶望「想像だにしない世界でした」


――そこから多くテレビに出るようになったかと思いますが、いかがでしたか。

いろんな番組に出させてもらえるようになるんですけど、そこからは僕の知らない、想像だにしない世界でした。しばらくはショートネタブームで同時期に活躍した芸人さん数十組の皆さんとひな壇に呼ばれて、僕自身は収録では1言もしゃべれないで帰るという日々が続きます。性格的にも実力的にも本当に難しかったと思います。

ご飯を食べれるようになったとて、またできないところにたどり着いちゃったんですよ。「飯が食える」というレールに乗った瞬間に、自分に向いてない仕事がいっぱい来て、また絶望でしたね(苦笑)。飯さえ食えてテレビに少し出られたら何かが変わると思ったら、変わらないどころかさらに状況が悪化して。

――売れたものの、テレビでは自分には向いていない仕事が多かったと。

そんなときに、同じ事務所で仲良かったオードリーが2008年の「M-1」で準優勝をし、そこからの活躍で「オードリーのオールナイトニッポン」が始まりました。僕としては、憧れの現場に着いて行けるということで2回目の収録から現場にお邪魔させていただきました。

(藤井)青銅さんにご挨拶させていただきご相談する中で「そういう人がたまにいて、いろんな理由をつけて放送を見に来てたよ。君もたとえば作家見習いということにすれば毎週来る理由になるんじゃない」って言ってくださって。ディレクターの宗岡さんも認めてくださって、毎週行かせていただき、会議にも呼んでもらえるようになりました。

放送作家として活動をする第一歩でした。とにかくラジオの現場にいるという喜びがありましたね。そこから5年~6年間ほど番組の作家として修業させていただき、一旦離れて、全国ツアーのライブからまたお声がけいただいて、一昨年からまた正式に番組の作家として呼んでいただいてます。

転機となったラジオ番組と「アメトーーク!」


――現在、サトミツさんはご自身でラジオ番組を担当されたりしていますが、「オードリーのオールナイトニッポン」以外で転機となった出来事はありますか。

ラジオ日本の朝の番組「おはよう!SPOON」で、ゲストに呼んでいただいたことです。今もお世話になっているんですけど、宮川賢さんが僕のトークを褒めてくださったことは自信になっていきました。このあたりからメディアでトイレの話をさせていただく機会が増えていきます。後にそこから宮川さんと一緒にラジオ日本に企画を出し、今も長く続いている「佐藤満春in休憩室」という番組がはじまります。

そして、同じぐらいのタイミングで「アメトーーク!」で「トイレの紙様芸人」に呼んでいただきまして、あれだけひな壇が苦手だと言っていた自分が、しっかり収録で活躍できた回であったと記憶してます。「アメトーーク!」は「じゃないほう芸人」や「掃除大好き芸人」など僕の名刺になるようなくくりの回でお声がけいただき、そこでテレビでの立ち振る舞いなど、出演者の皆さんやスタッフさんに教えていただきました。好きなことや自分の素養にあることは、自信もって話せばテレビでも伝わるのだなという原体験になりました。トイレ好きという旗を立てることができたという意味でも、本当に「アメトーーク!」には感謝です。