エリート“スポーツ少女”から“ヤマンバギャル”に! グラドル赤羽もも“過去”を語る<インタビュー>

2021/09/10 07:30 配信

グラビア インタビュー 独占

赤羽もも 撮影:金澤正平

――そもそもギャルになったのはいつから?

実は中学生のときからギャルに憧れていて、高校は絶対にミニスカ履いて超ギャルになりたいって思っていたんです。でも、中学校までソフトボールしかやってこなかったから、マジで頭が悪すぎて入れる高校がなかったんですよ。

それで、スポーツ推薦で高校に行くしかなかったので、ソフトボールを継続しなきゃいけない羽目に…。なので、高校でも全くギャルになれなかったんですけど、東京に出てきてはじけたって感じです。

――推薦で行けるということは、ソフトボールは良い成績を出していたってことですね。

そうですね。中学校がすごく強いチームで、常に県大会上位にはいました。高校は推薦だと二つ選べて、一つはガッツリとソフトボール漬けの生活で、ショートカットにして寮に入らなきゃいけないっていう高校。もう一つは普通にゆるっとやれるところがあって、ショートカットになりたくなかったから、ゆるっとやれる方に入りました。

――レギュラーにはなれたんですか?

2年生のときからレギュラーでした。中3くらいからバッターボックスに入るのがめっちゃ楽しかったんです。絶対に打てる自信しかなさすぎて、もう本当に楽しいみたいな。なんなら一番好きだったのが、「4番フォアボールでウチ」って場面が超好きでした。ネクストバッターのとき、早くフォアボールになんないかなぁって思っていましたね。

――それだけ自信があったということは、よっぽどうまかったんですね。

先輩より私の方ができちゃったんです。当時、私は本当に先輩をなめ腐っていて「先輩もうまくないくせに、いちいち言ってくんじゃねぇよ」みたいな感じでツンケンしていて。先生とも合わなくて「私だったらここはバントのサインを出すのに、なんでバントじゃないの?」とか。高校のときは荒れに荒れて、適当に部活もやっていましたね。

でも、実は中学1、2年生のときはマジでソフトボールができなかったんです。運動神経が良い方ではないので、周りは「小学校でやってきていたのに大してできないじゃん」みたいな感じだったんですよ。先生からも「お前はスポ小上がりのくせに」って言われて。それがめちゃめちゃ嫌でした。

――それは嫌ですね(笑)。

その時、先輩からも結構いじめられていた感じだったので、絶対にその先輩を見返したくてめっちゃ練習しました。家が小学校に近いんですけど、部活がオフのときはグラウンドに行ってお父さんと練習したりとか。あと、家にバッティングネットがあるので、お父さんにトスを上げてもらって打ったりとか。

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