ミュージアムの柱に配置された「環世界群 Umwelts」は作品中央に描かれた大きな上腕骨が印象的な作品だ。
タイトルの“環世界群”とは、ドイツの生物学者・ユクスキュルが提唱した「全ての動物はそれぞれに種特有の知覚世界を持って生きており、その主体として生きている」という思想を意味している。
「ユクスキュルの著書の中にマダニの話が出てくるのですが、マダニは木の上で血を吸う相手が通りかかるのを待ちかまえ、匂いや体温を知覚して獲物の体へと落下するそうです。けれど獲物は頻繁に通りかかるわけではないため長期間絶食することも可能で、18年間絶食しても生きていたという記録もある。そんなマダニの嗅覚や温度感覚、時間感覚は、私達のものとは絶対に異なりますよね。人間の尺度で全てを測ることには限界がある。そういう思いから、骨から他種が出てくる様子を描いています」
上腕骨の上に描かれた大きな山からは、脳のようなものが少し覗いている。
「“氷山の一角”という言葉があります。水面の上に氷山が出ているけれど、見えているのは一部分に過ぎず、何倍もの大きさの氷が海の下にある。20世紀、科学が発展することで私達はさまざまな事象を理解してきましたが、それでも生命がどうやって作られているのかはわからない。私達が理解できていることは、それこそ“氷山の一角に過ぎない”んですよね。未知なもの、わからないものの中に生きているという思いがあります」
大きな手を描いた「クラレ Curare」。同作はアマビエと類似した、3本足の猿の姿の妖怪「アマビコ」として制作されたそうで、大きな手の中にはよく見るとたくさんの猿が描かれている。
「『Curare』は『care』の語源になったラテン語ですが、“他者の悲しみ・痛みを自分のものとして同じように感じ取ること”を意味し、他者の痛みを受け取る苦痛を含んだ言葉だったそうです。
そして、ラテン語の否定の接頭語『se』と『cure』を組み合わせることで『secure(安全)』となる。他者との関係性を断ち切ることによって“安全性”が高まるということですね。それがコロナ禍で実感としてあるのだけれど、私達は完全に他者を断ち切ったままでは生きられない。
そこで思い出したのが“手当て”という概念でした。外部を完全に断ち切った世界の中では生きられないのだとしたら、私達は多少の痛みを伴いながらも他者に手を当てて、ケアしていくのだと思いました」