亮は親切で優しいけれど未知の気持ちに応えようとはしない。夜に会った時は早いうちに帰す紳士的過ぎるほどの亮。
なぜ彼はそうなのか。その理由が第110回で明かされた。
「りょーちん笑わなくていいよ。大丈夫って言いながら本当はなんて思っていたの?」と百音に言われ、「お前に何がわかる?そう思ってきたよ。ずっと。俺以外の全員に」と本音を漏らす亮。このセリフは衝撃だった。
最も愛想がよく精神が安定して見えた亮こそ、誰にも心を開かずその内面がささくれだっていたことは薄々わかっていたものの、はっきり言葉に出したことで、亮がこれまでどれだけ他者と自分の差に苦しんできたかその重みが際立つ。
幸せとは縁がないと諦めた亮の暗い表情はこれまでとは別人のようで、永瀬がそれまでいかに瞳や口角を徹底して“亮”の表情をコントロールしてきたかということを、視聴者は思い知らされる。
俳優は演技をするものだからこういう二面性の表現は、実をいえばできて当然である。永瀬廉の凄みはもっと奥深い。
優しく穏やかな亮の片面を、鮮やかに豹変したダークヒーローのようには演じない。
絶望し無力感に苛まれた、飾らない丸腰の人物として立ち尽くすだけ。「あしたのジョー」で描かれた両手ぶらりのノーガード戦法のようなものである。
いわば捨て身である。永瀬廉は俳優であると同時にアイドルであり“永瀬廉”としてのキャラクター性が魅力でもある彼がここまで役に奉仕して、さらけ出している人物を演じることはなかなかのものだと筆者は感心した。
永瀬廉はアイドルが俳優をやっているのではなく、アイドルと俳優を切り分けているということは、主演映画「弱虫ペダル」を見た時も感じたことだった。
気が弱いが、自転車への情熱と才能は図抜けた主人公を演じた永瀬の自転車を漕ぐ時の生き生きした表情は、演技を超えた果てにあるものに感じた。
「モネ」の序盤を見た時もそうで、あくまでも及川亮という人物が前面に出て“キンプリ永瀬”の印象がかなり薄らぐのである。
アイドルとして売り出してアイドルファンだけでなく全国区に顔と名前が知られて落ち着いてきた頃に芝居でも力を発揮するケースでなく、目下、ドラマにも出て、24時間テレビの司会にも抜擢されて、アイドルファン以外にもようやく浸透してきたところで、すでに俳優部のひとりであるというような、この実直さはなんだろう。
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