12月13日(月)深夜の「さよならテレビ」本編放送後、日本映画専門チャンネルが制作した土方宏史監督の特別番組が放送される。東海テレビドキュメンタリーシリーズの大ファンで、阿武野プロデューサーへの取材も行っている映画評論家/ライターの吉田伊知郎が、制作の裏側に迫るインタビュー。その内容をここに紹介。放送には乗らない部分もあるが、作品理解に役立つトークの内容を記録しておく。
——作品の客観的評価
あの時期だったから撮れた作品だとは思います。働き方改革が実際に進んでいます。取材の頃は、割り切ろうと思いつつも割り切れない現場の苦労があった気がします。今撮ったらあそこまでのジレンマは撮れないかなと思いますね。
——「テレビ」を題材にした理由
阿武野プロデューサーがいつも言っていることですけど、東海テレビのドキュメンタリーは、「取材対象にタブーなし」と。何を撮るにせよ、そこに世の中が見えれば、タブーはないよと言ってくれます。
単純に自分が興味あるもの、関心があって、世の中の人もおそらく興味があること・モノを取材したいなというのがずっとあって、それがテレビだったということです。テレビ業界の縮図が自社にあると分かっていたので、撮影するには都合がいいだろうと。テレビが抱える問題だとか、特徴をギュッと煮詰めたような部分があると思っていたので、自分の会社を使って表現するのがいいだろうと考えました。
期待されているのは、たぶん「マスゴミ」的な部分、このテーマでドキュメンタリーを作る上で、見せてくれるんだろうねというのは視聴者の中にあると思っていました。
——3人の取材対象
福島智之アナウンサーは最初から取材しなければいけないと考えていました。残りの二人(澤村慎太郎記者、渡邊雅之記者)は、彼らを描くことで今のテレビの実態が分かってくるだろうなと考えて、取材することを決めました。
取材期間が圧倒的に長く、1年7カ月の間撮らせてもらったので、そのキャラクターがどんどん出てくる。お願いして出してもらったわけじゃないですが、そこは運と環境の産物かなと思います。
実際は、社員の記者を中心に、あと2人くらいは取材していました。3人が残ったのは、言葉の信ぴょう性というか、自分の言葉でしゃべっているか、覚悟があるかというのが大きくて。見ている人たちに応援してもらいたいという思いもありました。それで残った感じです。
——福島アナウンサーとセシウムさん問題
メディアをテーマに自社を取材するとなれば、避けて通れない問題。福島は取材すると決めていたと言いましたが、これが理由です。セシウムさんのことは絶対にやらなきゃいけないなと思っていた。それを語る上でいちばん適任なのが、キャスターだった福島だろうと考えました。
——ドキュメンタリーと倫理
これはドキュメンタリーだけのことじゃないと思いますけど、何をやったら怒られるというラインで考えていくと危ないなと思っています。自分たちでどこまでありにするか、倫理観を持ってやっていかないと。それはドキュメンタリーだろうが、バラエティーだろうが関係なく、やらないといけないことだと思っています。
——ラストシーンの意図
最後のあの編集室の会話については、編集権が僕になかったというか、僕が選ぶと手心を加えてしまうので、編集マンに一番汚い部分というか、僕が使ってほしくないようなところを入れてくださいねとお願いをしていて。実際にとても嫌な部分を入れてきましたね。
——社内は何を思ったか
現場の若手のディレクター、記者、技術さんから「こんなの嘘だよ」と言われるものは作りたくないなと思ったので、そこを一番気にしていました。
現場のメンバーはあまり表立って(番組への感想を)言えないんで、すれ違いざまに「よかったですよ」とささやいてきたり、トイレで横になった時に「見ました」と言われたり。
放送が終わった後、他の部署に行くと、管理職の人からもう堂々と「よく会社に来られるね」「どのツラさげて会社に来てるの」みたいなことは言われて、それは傷つきましたね。
——ドキュメンタリーとは何か
ドキュメンタリーは、真実により近い、真実を伝えるジャンルというイメージがあるじゃないですか。でも、そんな風に思われているドキュメンタリーですら、取材者の意図があるし、演出とも言える行為もあり、それが本当に悪いのかと言えば、個人的にはそう思っていないところがあります。何かを表現する以上、取材する人の熱というか、思いが入らないものってあるんだろうか、という思いはあります。
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