とはいえ永野を和気あいあいな雰囲気に押し込めるだけでなく、要所要所では永野らしさが顔をのぞかせるのもこの番組の魅力である。番組開始後しばらくは、永野が飲食店をプロデュースする企画が続いたが、ラーメン店、カレー店、たこやき店、ピザ店とすべての店で、結局最後は「料理を永野ブルーにする」という結論にいたった。各店とも最初はトッピングを工夫するなど試行錯誤するのだが、終わってみれば全部青い料理。青いラーメン、青いカレー、青いたこ焼き、青いピザと並ぶ写真の映えの悪さに宮城の人もさぞ戸惑ったであろう(正確に言えばピザは四色だったが、一際鮮やかな青が目立った)。
このように「らしさ」を控えめに出しつつ、約半年間宮城のお店や大学・遊園地をプロデュースしていた永野だが、ふと「新幹線で仙台にきて、すぐ車でロケ地に行き、まっすぐ仙台駅に戻り、新幹線で帰る」というルーティンでまったく宮城のことを味わっていないことに気づき、そこからは街ブラロケが増えている。
番組開始時にはスタッフから「永野さんの新しい一面を視聴者に見せたい」との意気込み表明があったが、永野自身は仙台街ブラ時に「本当はアルコール多めの番組にしたかったが、全然聞いてもらえなかった」と話していたように、スタッフが考える方向性と永野の望む方向性には少しギャップがあるのかもしれない。そもそも永野自身「自分のやりたいことをやらないと気が済まない」性分であることを考えると、これからも番組のテイストが徐々に変わっていく可能性はあるだろう。
最近は自身のYouTubeチャンネルや著書で洋楽ロックへの傾倒ぶりを語ることが増えている永野のこと、もしかしたら番組ももっとロックテイストになっていくのかもしれない。
ちなみに約30年前、仙台放送には「夜は変ホ短調」というハードロックやメタル中心に洋楽のミュージックビデオを流す深夜番組があった。現在サッカー実況で知られるフリーアナ下田恒幸が仙台放送局アナ時代に作った番組で、当時洋楽アーティストがあまり来る街ではなかった仙台に洋楽文化を根付かせた伝説の番組である。
そのような土壌がある仙台だけに、怖がらず永野のロックな部分をもっと前面に出していってもいいのかもしれない。県外の人からは、わりと保守的と言われる宮城県民だが、内に秘めたロックスピリットはなかなか熱い。
案外、数年後には深夜に仙台の居酒屋で酒を飲みながらロックを語る番組になってたりするのかも。それはそれで面白そうだ。