フォークダンスDE成子坂のコントは、もう生で見ることは叶わない。村田は2006年に、桶田は2019年に若くしてこの世を去っている。
2人が既に他界していることはオープニングVTRで少し触れられたが、その後、芸人たちは2人の「笑い」にだけついて話し、その死を語ることはなかった。スタジオでもエンディングになって、ようやくこのことに触れる。
伊達「生きていて解散もせずに、フォークダンスDE成子坂というコンビがいたら、今どうなってたのかな?」
山崎「ライブ即完みたいな感じじゃないの?」
伊達「いや、誰かは世に出てないでしょうね。今、世に出ている人は」
フォークダンスDE成子坂が放った強烈な光は、たくさんの芸人の憧れとなった。だが、その輝きが今も続いていたら、その光に目をつぶした者もいただろう。憧れと畏怖は、紙一重にある。歴史に立ち会ってきた中堅芸人たちなら、なおさら身に覚えがあるに違いない。
番組は終わろうとしていた。スタッフロールが流れる横で、太田光のVTRが流れる。桶田は死を前にして、妻に「自分が死んだことは5年後に公開してくれ」と頼んだという。
「あいつホントに身勝手なんだけど(笑)。さすがにそれはって、じゃあちょっと近い人だけっていうんで俺らが聞いて。じゃあ、お別れ会みたいなのやろうよってことで、ちょっと集まったんだけど」(太田光)
そのお別れ会がなかったら、未だに桶田の死を知る機会はなかったかもしれない。「ネタばらし」をされないままに。
「渚も死んで、桶田も自分が死ぬのは分かってたから、『悲劇のコンビ』っていう扱い方をされるのが嫌だったってことらしいけどね」(太田光)
「お笑い実力刃」は2人を「悲劇のコンビ」にしなかった。解散に至る経緯や、それぞれの死の詳細には触れなかった。フォークダンスDE成子坂が残した「笑い」だけを見て、言葉を尽くしそのすごさを讃えた。その稀有な存在を、もう一度テレビに刻んでくれた。
「最高の笑いをありがとうございました」というテロップで、番組は終わった。
文=井上マサキ