――サトミツさんは、放送作家見習いとして「オードリーのオールナイトニッポン」に携わっていましたが、一時期番組から離れた時期がありました。そして数年前から、正式に放送作家としてまた携わるようになったんですよね。
佐藤:そうですね。一回お休みさせてもらったのは番組がはじまって5年くらい経過した時だったと思います。理由としては単純に作家として忙しくなりはじめた時でもありました。作家の仕事をはじめた時からずっと「オードリーにひっついて仕事をもらっている」ということは避けようと思っていたんです。彼らとの関係性も壊れてしまうし、自分のためにも絶対よくないと思っていまして。
ちょうどその頃に、ありがたいことに帯の作家の仕事もいただいたりと他の仕事も舞い込みはじめたところだったので、勝負という意味でも一度「オードリーのオールナイトニッポン」は離れさせていただきました。とはいえ、その期間もライブのお手伝いはずっとさせてもらっておりましたし、友人関係でもあったので、土曜に会わなくなったかなくらいの距離感で。その後僕の仕事は、バラエティに限らず情報番組、ニュース、いただいた仕事はなんでもやりました。秋田県の漆職人の密着のドキュメントから政治経済を論評する番組まで。
その後、番組10周年ツアーをやるにあたって、若林君から連絡をもらって依頼いただき、またツアーでお手伝いさせていただきました。それでツアーが終わった後に、(当時番組ディレクターの)石井ちゃんに「番組にもいてもらった方がいいです」って言ってもらい、正式に番組スタッフとしてまた番組に加わりました。
藤井:佐藤君が「作家になりたい」って相談されたときにも、僕は「オードリーに関連するものだけをやるのではなくて、なるべく不得意なものをいっぱいやった方がいいよ」とアドバイスさせていただいたのですが、その時にはもう佐藤君も「そう思います。僕もそのつもりです」と分かっていらっしゃいました。あれは、たまたま街中でまったく偶然会ったときですよね。
佐藤:そうですね。「今後どうしようかな」と迷っていたときに、あるビルで偶然お会いして(笑)。あとは春日さんからの熱烈なカムバックのオファーをいただいて(笑)。
藤井:そうですよね、分かります(笑)。
――そういえば、春日さんは、青銅さんに対しては、“春日語”を使わないんですよね(笑)。
藤井:使わないですね、僕に対しては。
佐藤:人を見て使い分けしてますから(笑)。とはいえ、今僕が番組に戻ったからといって、いきなり何かがよくなるなんてこともないと思いますし、別に変わらないと思います。放送前に若林くんとダラダラと喫茶店に行くこともあるし、春日さんとは会議室で放送とはまったく関係ない話をし続けることもありますし。そんなもんですよ、一緒にいて話を聞いてるくらいのもので。
藤井:でも、もちろん佐藤君に対しての方が相談しやすいでしょうしね。
――サトミツさん的にも、青銅さんともまたご一緒できるのはうれしかったのではないですか。
佐藤:もちろんです。あと僕の中では、もう1個原点になっていることがあって。青銅さんは「らじどらッ!」というニッポン放送のラジオドラマの監修と脚本を担当されていたのですが、作家の1人として声をかけていただき、そこでもいろいろと教えていただきました。あれから僕は、ラジオドラマの脚本を結構書いているんですよ。
藤井:ちょっと特殊なんですよね、ラジオドラマは。誰かに教わらないとなかなかできないと思います。
佐藤:青銅さんに教えてもらった入り口がなければやってないです。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)