――子供の頃からポジティブな性格でしたか?
親が楽観的な人だったので、家族全体がそういう雰囲気ではあったし、基本的には小さい頃からポジティブで明るい性格でしたね。でも、そこに“強さ”があったかと言うと、そうではなかったです。ただただ明るくて楽しいやつ(笑)。
ハンドボールを通して成長することで強さも生まれたなと思っています。ネガティブな状態になっても、それをどう捉えて、自分はどうしたらいいのか。自分の状態を常に観察して、自分の置かれた状況に気付くことで、それを乗り越えていけるんだと思います。
――これまでの人生でネガティブをポジティブに変えたターニングポイントをいくつか教えてください。
まずは、やっぱりハンドボールとの出合いですね。たまたま兄と妹がやっているのを見に行って、自分もやってみたら楽しかったんですよ。最近もよく「スポーツの価値って、何ですか?」って聞かれますけど、人に夢や希望を与える、健康になる…と、いろんな答えがある中で僕が思うのは「人生に意味を与える」ということです。
ただただ楽しく毎日を過ごしていただけの少年が、ハンドボールという大きな夢を見て生きるようになった。それはすごく価値があることだと思います。
あとは大学時代に怪我をしていなかったらフランスには行っていないし、諦めかけていたハンドボールを再び始めることもなかった。そういう意味では、怪我すらも神様がくれたギフトだと思ってます。
フランスのチームで人種差別を受けたこともターニングポイントでしたね。差別自体がターニングポイントだったわけではなく、自分の中で考え方を切り替えることができた。
今回の本のタイトルにもある通り「逃げられないなら、楽しめばいい!」という心境に至ったんです。ポジティブではあったけど、強くはなかった僕に強さというものが生まれた最初の一歩でしたね。
――東京オリンピック出場や、コロナ禍での1年延期も大きな出来事でしたね。
そうですね。でも、コロナの影響で延期になったことをネガティブに感じたことはないです。オリンピックが延期されたことでハンドボールの認知度を高める時間も増えたし、TikTokも存分に活用できましたね。
――日本においてハンドボールはまだマイナー競技だけれど、そこが良かったと著書に書かれていますね。
フランスでプレーしてたときは、ハンドボールにだけ集中していればよかったんですよ。選手が集客のことを考えなくてもいい、日本のサッカーや野球くらいの人気スポーツですから。
日本ではそうではなくて、でも周りを見渡したときにその状況を本気で変えようとしている人もいなかった。だったら、自分で変えようと思って、行動するようになりました。
1試合するにもたくさんの方が早起きして会場設営して、後片付けしているからこそ、自分たちが存在している。そんな人たちを巻き込んで、いろんな普及活動に時間を費やしているうちに絆も生まれました。それはマイナーな競技だったからこそ経験できたことだと思いますね。
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