アーティスト活動40周年を迎えたギタリスト、布袋寅泰の軌跡を描いたドキュメント映画、『Still Dreamin’ ―布袋寅泰 情熱と栄光のギタリズム―』が、2月4日から、2週間限定で公開。昨年は東京パラリンピック開会式へも出演し、2月1日にニューアルバム『Still Dreamin’』のリリースもした布袋寅泰に、40年のキャリアが詰め込まれた今作の見どころを語ってもらった。「夢は追いかけるもの」「カッコよさは自分と向き合っているかどうか」など、第一線で活躍し続ける布袋流の美学ともいうべき言葉が飛び出した。
――布袋さんご自身がナレーションをするなど、驚く内容が詰め込まれていました。布袋さんは作品制作にどのように関わられたのでしょうか。
僕を含めた制作スタッフ全員が力を合わせて作った映画です。十分な時間をかけましたし、実際に「コロナ禍」で予測できぬ状況もあった。完成のプロセスまで、監督は本当に辛抱強く僕のリクエストに答えてくれたし、「もっとこうやったら面白いんじゃないか」とアイデアを出し合い、何度もブラッシュアップを重ねました。過去のシーンは、もちろん僕が全部選んだわけではなく、膨大なアーカイブの中からスタッフが掘り出してくれて、僕も久しぶりに見たものも多く、中には初めて観る映像もありました。
――完成した作品をご覧になられた時、布袋さんご自身はどのように感じられました?
ただ華やかな映像だけを使ったサクセス・ストーリーを伝えたかったわけではないし、作り上げられた苦悩だらけのストーリーにもしたくなかった。想像以上に映像がストーリーをひとつに紡いでいってくれたな、というのが正直な感想ですね。
僕の歴史だけを連ねた記録映画ではなく、色々な世代の人々に届くポジティブな作品に仕上がったことをとても嬉しく思っています。これまで歩んできた40年を振り返るなんて初めてのことだし、「布袋さんが自分自身と対話しながら、過去と未来を繋いでいくというストーリーにしたい」と、脚本を渡してくれた石田監督の作品に賭ける思いが実を結び、とても誠実な映画に仕上がったと思います。
「布袋寅泰の歴史を感動的に描く」のではなく、「どんな人にも必ず伝わる作品が仕上がった」という意味で、制作サイド全員の気持ちが身を結びましたね。関係者初号試写の時は石田監督も泣いていましたからね。本当にたくさんの想いが詰まった作品です。
――「コロナ禍」は、作品にどのような影響を与えたのでしょうか?
本当は、「満員の日本武道館公演で、華々しく40周年を迎える」というラストシーンになるはずだったんだけど、結局コロナ禍による緊急事態宣言発令で無観客ライブとなってしまいました。その後のパラリンピック出演についても守秘義務がとても厳しかったので、石田監督は僕が出演することを知らなかったんです。本当に「ストーリーがどう展開していくのか」、「この映画がどんなエンディングを迎えるのか」がわからない中で作った緊張感が、全編に反映された作品だと思います。
――布袋さんご自身による優しいナレーションや、慈愛に満ちた言葉の数々が大変印象に残りました。ミュージシャンとしての「歌声」との違いや、ナレーションをされるにあたって苦労された部分はありましたか?
初めは「果たして僕自身がナレーションするべきなのか」、「主観的になりすぎはしないか?」と不安はあったんです。それこそ「豊川悦司さんに頼んだ方がいいんじゃないのか?」と迷った時もあったんだけれど(笑)。
しかし石田監督が、「布袋さん自身で語らなければいけない」と頑なに気持ちを曲げなかった。若い頃と、現在のシーンでは、ナレーションの声のトーンを意識的に変えるといった努力はしましたね。あとは、自分が映画を観るときに時に一番ストレスを感じるのは、セリフや言葉が聞き取りづらい時なので、言葉に関しては音響の方にしっかり伝え、とても満足いく仕上がりになりました。
――布袋さんの「紳士的な姿勢」や、良い関係の仲間に囲まれて活動されてきたことを感じ取れる作品でした。布袋さんが40年間も活動を続けられたコツや、人との付き合いで大切にしていることはありますか?
「みんなが喜ぶ顔を見るのが好きだ」と言うこと。それは「自分がギタリストであった」ということも、大きな理由かもしれませんね。BOØWY時代もバンドの中で、リード楽器でありながらもボーカリストを支え、ドラムとベースを引っ張っていく立場にあった(※「BOOWY」の2つ目のOはストローク符号付きが正式表記)。そういった意味では、ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせてから、ある意味で常に俯瞰的に状況を判断しながら、周りの人を活かすプロデューサーとしての感覚を磨いてきたところもあると思います。
単純に、「バンドが気持ち良く演奏できる曲」、そしてそれが生き生きとする照明やサウンドを関わる人みんなで一緒に創り上げていきたいんです。ソロとなった今も、「バンドやスタッフそれぞれの魅力と力が十分に発揮できてこそ、布袋寅泰が活かされる」という意識がすごく強いんです。若い頃は、なかなか人をまとめる力がなかったけれど、キャリアを積んでいくにつれ、自分の想いをきちんと伝えることができるようになった。自分と向き合うことで人のありがたみがわかった。最近は、何かと人を気遣う機会が増えました。それを「ジェントル」言っていただけるのなら嬉しいです。
――やはり、「周囲の人に幸せになってほしい」と言う想いが強くあるのでしょうか?
やっぱり「ハッピーな時」が一番いい音が出ますからね。僕はチームのリーダーでもあるから、ここ数年は、チームが全員ハッピーになれる状況を作っていくことに集中してきました。僕という人間と、その音楽をみんなが信頼してくれる状況は、作れたんじゃないかなと思います。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)