――相方の金田(哲)さんは、がんだと告げた時、どんな反応をしていましたか。
相方には、がんだと告知されて3日後ぐらいに劇場で誰もいないところを見計らって伝えました。「結婚した。子どもが産まれるんだ。がんになった」って。「えっ!?えっ!?えっ!?」と、3回驚いてましたね(笑)。僕ががんだと知って、金田は「仕事なんていいから、とにかくすぐに休んだほうがいいよ。早く手術を受けたほうがいい」と心配してくれました。
――一瞬、ドッキリかと思いそうですよね。
いや、僕の目を見て「マジだな」と瞬間的に感じ取ったんじゃないかと思いますね。長年連れ添ってるから、アイコンタクトでドッキリとリアルの区別がある程度わかるんです。
――がんの手術が無事に終わった後も、しばらくは病気を公言することを控えていました。その理由は何だったのでしょうか。
人を笑わせる仕事なので、公表したら笑ってもらえなくなるんじゃないかという不安がありました。それに、「この人はがんを患っていた」というイメージがついちゃうのも芸人として怖かったんです。
――手術したことを隠しながら芸能活動をするのは、苦労が多そうですね。
そうですね。和田アキ子さんを人力車で押す企画を断ったこともありました。あの時は本当に申し訳なかったです。あとはコントで衣装チェンジする時に、手術の痕を見られないように、こっそりトイレで着替えたこともあって。手術したことを内緒にし続けるのは大変でしたね。
――その後、2016年4月放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日系)で病気のことを告白しました。がん発覚から期間を経て、公表に踏み切った理由をお聞かせください。
今お伝えしたような仕事上の制約もあって、手術後少しずつ「どこかで公表したほうがいいのかな」と思うようになっていたんですよ。そんな時にちょうど「しくじり先生」のお話がきました。事務所としては公言しないほうがいいのではないかというスタンスだったんですけど、僕の考えは違いました。というのも、僕みたいに健康診断を重要視せずにがん保険にも入らない若い人って、いっぱいいるはずなんですよね。
だからこそ、僕の体験を世の中に広めて、少しでもそういう人たちが行動を変えるきっかけを作ることは、僕の使命なんじゃないかと思ったんです。そんな使命感もあって、このタイミングで言おうと決めました。実際に、僕の地元の友達や芸人仲間もめっちゃ健康診断に行ったりしているので、良かったなと思います。
――川島さんご自身はがんという大病をされたことで、価値観の変化はありましたか。
価値観は180度一変しましたね。病気になる前は、いただいた仕事に自分なりの全力を傾けつつも、そこまで能動的に取り組むことはしませんでした。でも、がんになってからは、より人生を楽しもうというか、すごくチャレンジ精神が湧いてきて「なんでもやってやろう!」という気持ちになりました。新たに挑戦したことの一つが、がんについて語る講演会です。これまで芸人でありながらトークを苦手としていたのですが、そんな僕が今では60分や90分の講演を普通にできているんですよ。なんなら、2019年では東西合わせて吉本で一番講演会を開いた芸人だったと言われました。
――最後に闘病を乗り越えて、奥様と娘さんにどんな感謝の言葉を伝えたいか、教えてください。
奥さんと娘には頭が上がらないですね。最近思っているのは、1千万円くらいドンとあげたいなと(笑)。何年かかるかわからないですが、頑張って貯めたいです。娘には「天使だよ」「産まれてきてくれたおかげで僕の病気が見つかったんだよ」とチラッと言ったこともあるんですが、まだよくわかっていないみたいで(笑)。なので、大人になって理解できるようになったら、改めて感謝の気持ちを伝えたいですね。
文、写真=こじへい
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