まるで現代のペットボトルのような容器の飲み物を持つ写真。側面には「Ohgida Labo」の文字が描かれている。それはまさに、2000年代ベンチャー起業ブーム以降のイケイケ企業がこぞって作っている社名ロゴ入りオリジナル水の先駆けではないかとも言われている。
特に彩千丹関は「部屋」という呼び方に違和感を持ち、「ラボ」という呼び方を提唱。扇田部屋ではなく、Ohgida Laboと呼ぶように強く要請していた。
白星・黒星という言い方にも難色を示した。「なぜ、勝敗を色で表すのだ。白が勝ちで黒が負けである理由がわからない。これからはWINとLOSEにしよう」。そう強く提案したのも彩千丹関らしいと言えるだろう。
こうした姿勢を貫いた彩千丹は、取り組みよりもミーティングを重要視した。「勝ちや負けを決める既存のスキームを壊し、型にとらわれないアジェンダをシェアすればいいのではないか」という言葉を残している。
取り組みの表記にこだわりを見せた。「相撲という勝負は勝ち負け含め、対戦力士とのコラボレーションだろう。『×(かける)』表記を入れてくれ。それができないと言うなら、土俵には上がらない」という言葉が協日新聞のインタビュー記事に残っている。
内輪だけでいると発想が貧困になると、付き人などとは行動を一切共にしなかった彩千丹は、取り組み直前にもスーツ姿の企業経営者と話し込む姿がよく見かけられた。
自分をより多く世に認知してもらうために航空会社社長にお金を払い、飛行機の機体に自分の体を描いてもらった。この行動に当時は変わり者と煙たがられた。
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