皆藤愛子、有言実行でついに俳句名人に!「本気で家に缶詰めになって考えています」【連載:Museの素顔 #6】

2022/02/28 18:30 配信

芸能一般 インタビュー 連載

引っ込み思案な自分を変えるためにアナウンサーの道へ


自分を変えるため、子供の頃に夢見たアナウンサーを目指すことに 撮影=岡田健

――アナウンサーを目指した経緯を教えてください。

小学生のときに朗読の時間があったのですが、そこで先生に褒められて。「私、朗読得意なんだ!」と嬉しくなり、放送委員会に入ったんです。当時の卒業文集には将来の夢はアナウンサーって書いていました。そこからしばらくその夢は忘れていたのですが、大学生になっていざ就職活動となったときに、「そういえば私、アナウンサーになりたいって言ってたな」と思い出して。でも私、中学校に入ってから引っ込み思案になって、それ以来、人前に出てしゃべることが何よりも避けたい事柄で…。大学の授業も発表がない授業をわざわざ選んだくらいです。その一方で、上手にお話ししたり言葉で伝えられる方々にすごく憧れはありましたし、このままの性格だと社会に出て通用しないなとも思っていて。苦手だなと思いつつ、自分を変えるために、あえて接客業や人前に出るようなアルバイトをしていました。

――苦手なことを克服しようと思ったんですね。

はい。なのでアナウンサーにも、正直本当になれるとは思っていなかったんですけど、目指すことで得られるものがきっとあるはずだと思って。アナウンススクールにも通い始めましたが、カメラに向かって1人ずつ自己紹介をするときに、初回は泣いてしまい1人だけできなくて…本当にひどかったんです。でも就職活動をしている中で、のちにフジテレビのアナウンサーになる本田朋子ちゃんと友達になって。苦戦している私に、彼女が当時所属していたセント・フォースを紹介してくれたんです。それで面接をしたら、そのときにたまたま「めざましテレビ」のお天気キャスターのオーディションがあると言われて、受けに行ったのが始まりです。そのタイミングでオーディションがなかったら事務所に所属もしていなかったかもしれないので、すごく運が良かったと思います。

――その頃は人前でしゃべることは、もう克服していたんですか?

そんなことはあんまりなくて、やっぱり苦手だけど、でも少しずつできることがうれしい、みたいな微妙な感じで(笑)。当時の「めざましテレビ」の映像を見ると、等間隔で3人が並んでいるんですけど、私だけどんどん後ろに下がって行っていて。一緒にやっていた中野美奈子さんが、さりげなく私の肩を持って元の位置に戻して下さっているんです(笑)。そういう温かい環境で、徐々に慣れていった感じでしたね。