――お天気キャスターとしては2005年から2009年まで4年間、務められていましたが、振り返ってみて、印象的な出来事を教えてください。
右も左も分からなかったのですが、高島彩さんと中野美奈子さんというお二人と一緒にやらせていただいていたのは、本当にありがたいなと今も思います。お二人の姿を近くで見ていて、伝えることの楽しさはもちろん、いろいろなことを教えていただきました。1年目の夏から、お天気キャスターとして全国、沖縄から北海道まで1カ月かけて中継で回る企画を3年続けて担当させていただいたのですが、それが私にとって本当に大きな経験でした。全国を回っていると、いろんなところで声を掛けていただきましたし、この地域にはこういう空や景色が広がっていて、こんな名産があって、こんな方々が生活されているんだ、みたいな現地の空気を体感できて、お天気を伝える上ですごく良い経験になりました。
――モチベーションも上がりますね。
各地で「毎日見てるよ」って言っていただける、このお仕事ってありがたいなぁと。私は初対面だけど、私のことを知っていて「愛ちゃん」って呼んでくださる方がいたり、めざましテレビが中継することをとても喜んでくださる。それは本当にうれしかったです。中継先で今でも鮮明に覚えているのは、2年目のとき、スタッフ・出演者全員が屋久島に行って、そこから「めざましテレビ」を放送する企画があって、その中継の進行で私、大失敗をしてしまって…。 “屋久島まで来て何をやっているんだろう…”と思って泣いていたら、彩さんが空港まで一緒にタクシーに乗ってくださって。車の中で「私もそういうことあったよ」ってご自身の経験をお話ししつつ、優しく励ましてくださったのが、すごく印象的でした。
――生放送の帯番組は、想像しただけで大変な環境です。
楽しくやりがいもあるのですが、失敗もいろいろ…。ただ、最初から生放送の番組に就かせていただいたのがよかったかもしれないです。私の中ではお仕事=こういうもの、と思っているので、割と楽しめるところはありました。
――ほぼ毎日、放送がある中で失敗をしてしまったときに、ご自身の中で、どのように消化していましたか?
反省した後は、やはり明日もあるので切り替えて「明日、頑張ろう!」と思うようにしていました。お天気コーナーも一日の中に何度もあって、一度失敗してずっと落ち込んでいるわけにもいかないので、「次きちんとやって取り返そう」みたいな。そこで精神的に鍛えられたかもしれないです。放送後には必ず反省会が開かれて、まずスタッフさんと出演者全員で15分くらい、その後は出演者だけで30分くらい。そこでアドバイスをいただいたり、全く関係のない世間話をしたり。すごくいい時間でした。最初の頃は、その場にいるだけで緊張してしまったのですが、大塚(範一)さんはじめ皆さん優しく話し掛けてくださって、そのうちにどんどん居心地がよくなってきて。次の仕事がないときは、そのまま皆で1時間くらいお話しするようなこともあったし、さらにお昼にまたランチで集合することもありました(笑)。
――まさにファミリーですね!
「めざまし」の人間関係は、すごく温かくて、大好きでしたね。「めざまし」をやりながら、他の番組や違う局の番組にも出させていただけるようになっていったんですが、やっぱり「めざまし」が“家”っていう感覚で。そこに戻ってきて、いろんな話を聞いてもらう、みたいな(笑)。彩さんと美奈子さん、お二人も本当に仲が良くて、その中に引っ込み思案な私も引っ張り入れていただいている感じでしたし、大塚さんも軽部(真一)さんもすごく優しい。毎日通っていて、一人暮らしなので家族よりも会う方たちなので。技術的なことはもちろん、人間関係もすごく大事な現場で、それが拠り所になっていました。
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