――タモリさんといえば、飯尾さんは31歳の時に「笑っていいとも!」レギュラーに抜擢されていますよね。
あれは衝撃的でしたね~。ちょうど寝起きのタイミングで、マネージャーから電話がかかってきて「飯尾、『いいとも!』決まったから」と言われて。「そうですか、わかりました。ありがとうございます」って切った後に「え、なんでだろ?」と思い、もう1回かけ直しましたもん(笑)。
どうやら、関根さんの舞台を観劇しに来た「いいとも!」のプロデューサーさんが、関根さんと絡んでいる僕を見て「飯尾くんどうですか?」と推薦してくれたみたいで。そしたら関根さんも「いいですね!」と後押ししてくれたらしいんです。当時のフジテレビらしいノリの良さに、甘えさせてもらったという感じですね。おかげで、初出演の後には「あの人、誰?」というFAXが殺到して、いいとも青年隊より説明が必要な状況になっていました(笑)。
――その後、時を経て、こういった本が出るくらいまでブレイクされたわけですね。
いやいやいや、ブレイクなんてとんでもない!まあ、ブレイクというか、「仕事が増えたのかな」と思えたのは、17年ほど前の40歳ぐらいの頃です。これまではPASMOやSuicaに2000円チャージすれば1週間は使い続けられたのに、1日で残高不足になった時に実感しました(笑)。
――ご自身の中で、40歳前まではいわゆる「下積み」という印象なのでしょうか。
でも、これが若い時から地味に食えてたんですよね。20代は4年間ぐらい食べることができて、30代になってからまた食べれるようになったんですけど、40歳手前で家賃が払えなくなったんです。そこで以前、うちで共同生活をしていた後輩が立ち上げた清掃会社のアルバイトをさせてもらい、マンションのエントランスをワックスがけしたり、高圧洗浄機で床掃除の補助作業などしていました。
――そんな時期があったのですね。
はい。その後輩は埼玉に住んでいたのに、わざわざ僕が住んでいた品川まで車で迎えに来てくれたり、お昼休みには鰻をご馳走してくれたりと手厚くもてなしてくれました。ほんとツイてますよね、当時40歳のおっさんがこんなに呑気に働けて。しかも、その三カ月後からは、また仕事をたくさんいただけるようになっていましたから、本当に運が良かったなと思います。
――後輩の方に慕われているのですね。
いやいや、バイトの時は後輩面しましたから(笑)。いかにも先輩っぽく「何すればいいの?」と上から言わず「社長!どうしますか?次は?」としっかりと敬語で。でも、昼休みになると、またため口に戻るんですけど(笑)。