森口博子「ガンダムは永遠の宝物であり、人生のパートナー」“夢をかなえてくれた運命の作品”に感謝

やっぱり「リストラ宣告」は外せないですね


――「ガンダム」でデビューされ、2021年に芸能生活36周年を迎えられましたが、これまでの活動を振り返って印象に残っていることなどを教えていただけますか?

やっぱり「リストラ宣告」は外せないですね、芸能生活において(笑)。堀越学園卒業と同時に「あの子は才能がないから九州に帰した方がいい」と。大人は私のことちゃんと見ていないのにすぐに結果を出されても納得いかない!!どうしても歌が歌いたかったので「どんなジャンルでも頑張ります」というところからバラエティーをやらせていただいて。デビューが1980年代で、レギュラー番組がたくさん増えていった90年代に再び「ガンダム」の、今度は映画の主題歌を歌わせていただきました。

「才能がないから帰れ」と言われていた私が、初めて「ETERNAL WIND 〜ほほえみはひかる風の中〜」でオリコンのウィークリーチャートでベスト10入りして、「NHK紅白歌合戦」(NHK総合ほか)と全国ツアーにもつながったという、歌手としてスタートラインに立てた出来事だったので忘れられないですね。

そこから10代から50代まで、それぞれ各年代ごとに新しいシリーズの「ガンダムソング」を歌わせていただけているということは、本当にボーカリスト冥利(みょうり)に尽きますし誇らしいことです。

そして振り返ると、この『GUNDAM SONG COVERS』シリーズで「1」のとき今度は初めてオリコンのウィークリー3位という歌手人生で最高の順位を頂けて。80年代当時、私のレコードとかお店にほとんど置いてもらえなかったんですけど、今はどのCDショップにも大きな森口博子コーナーができて。それをショップの方が写真に撮って、Twitterに上げてくださるんれてたんですね。それも全部、スクショしたりしてたんですけど(笑)。そうやって、CDショップでのレイアウトのポジションもグレードアップしていたり、たくさんの人に見てもらえる所に置いていただいたり、レコード大賞の企画賞を頂いたり。

続編の「2」では、その記録をまた更新できて、オリコン、ビルボードジャパンウィークリー2位という50代にして、令和の時代にいろいろ自分の記録を更新できたりとか、20代のころのように再び若いアーティストの方に交じってランキングに名前があったということも、驚きと感動と感謝でいっぱいです。“夢には締め切りがない”なと。

――あらためて「ガンダム」はとても大きな存在なんですね。

そうですね。ガンダムを歌っていたから他のアニメの楽曲にもつながっていきましたし、アニソン以外のポップスも歌わせていただいているので。バラエティー番組の「夢がMORI MORI」(1992-95年、フジテレビ系)のお仕事をやらせていただいたときに、「ガンダム」と「夢がMORI MORI」のテーマソングで6年続けて「紅白歌合戦」に出演させていただいたり、ガンダム以外の曲もオリコンベスト10に入ったり。

振り返ったら「ガンダム」から始まって、「ガンダム」を軸にプリプリ(PRINCESS PRINCESS)の岸谷香さんや広瀬香美さん、平松愛理さん、西脇唯さんという素晴らしいシンガーソングライターの方に楽曲を提供していただきました。

「アニソンとポップスの懸け橋になるような存在になれればいいな」と思いました。普段アニソンを聴かない人から、今回のカバーアルバムを通じて「聴いてみよう」という意見を頂いたり、逆に「ガンダム」をずっと聴いている方から、「森口博子のオリジナルを聴いてみよう」という意見も頂いたんです。「良い曲、たくさんあったんですね」「ノーマークでした」って。タイアップがあるなしに関係なく、良い楽曲がクロスしてるっていうのが、私の中ではすごくうれしかったです。

最近の“バラドル”は「みんな素晴らしい」


――森口さんといえば“元祖バラドル”というか第一人者といった感じですが、最近バラエティーで活躍しているアイドルたちについてどう思いますか?

いや、もうすごいなって。素のままで素材そのものが面白いですよね、自然体で。何でもありの時代になっていて、皆さん違和感なく自然に自分のポジションをそれぞれ築いていて、たくましいなって思います。みんな、素晴らしいですね!

――バラエティーで活躍されていたころは、個人的に井森美幸さんとのやりとりが好きでした。

井森とはいまだに仲良しで! 最初の緊急事態宣言が出されるずいぶん前なんですけど、一緒にご飯とか行って、別れ際「じゃあね」って言ってから1時間そこで立ち話するような仲です(笑)。

――お二人の面白いエピソードってありますか?

バラドル時代、忙しくなり始めたころに「衣装合わせです」って言われて井森と2人で「今日は衣装、用意してもらえるんだ」って楽屋で待っていたら、置かれていたのがセミの着ぐるみだったんですよ。で、着替えたら衣装さんに「どうですか?」って聞かれて「はあ…」って。「ジャストフィットです!」って答えた思い出があります。楽屋で一緒に「ミーンミーン」「ツクツクボーシ」って一生懸命練習してました。バラエティーの始まりのころですね。

――本当に体を張られてましたよね。

あと、数年前にバラエティーで井森と一緒になって。「THEカラオケ★バトル」(テレビ東京系)に出たとき、『GUNDAM SONG COVERS』がオリコンに入って、レコード大賞の企画賞を受賞して、紹介のVTRを感動的に作っていただいていて。思わずウルッと来てしまったんですけど、ゲストコメンテーターで出ていた井森が「私たち同期の誇りです」って言ってくれて、すごくうれしかったですね。

あと、中山ヒデちゃん(中山秀征)もいたんですけど、「俺たちがかなえられなかったことを、森口さんがかなえていて本当に心強い」って。その後も電話で話して「花村(森口の本名)が歌っている姿を見て、私も頑張ろうと思える」って言葉を井森が掛けてくれて、本当に長年一緒に乗り越えてきた戦友の言葉は染みるし、私も井森の変わらないエネルギーをリスペクトしています。

――すてきな関係性ですね。過去、バラエティー番組で森口さんや井森さんのデビューのころのVTRに加えて、幼い森口さんが「しあわせ未満」を歌っていた映像も見た記憶があります。

4歳から歌手になりたいと思っていて、小学1年生のときから「ちびっこものまね紅白歌合戦」(1977-78年、テレビ朝日系)のオーディションに出て合格して、中野サンプラザ(東京)で生バンドで歌わせていただいた映像ですね。私にとってライブの原体験が、その番組です。

私は管楽器の音が大好きで“血が騒ぐ”んですけど、「何でこんなに管楽器の音が好きなんだろう?」と思ったら、その番組の影響かなって。小学生が生バンドで歌えるってあまりないですよね。中野サンプラザのホールのエネルギーとお客さまの拍手に包まれて、ここから来てたんだと思って。血が騒ぎます!

――今回が『GUNDAM SONG COVERS』は最終章になってしまいますが、今後あらためて挑戦してみたいことはありますか?

「ガンダム」もそうですし、いろんなアニソンの魅力を伝えていきたいと思っているので「ガンダム」以外のアニソンや、昭和の名曲のカバーアルバムにも挑戦していきたい。もちろん去年リリースしたオリジナルアルバムのように森口博子のオリジナル曲も充実させていけたらいいですね。とにかく、ここ数年は本当にビックリするような記録とかランキングを頂いて、歌手・森口博子を知っていただけたので、そういう意味ではまだまだこれから伝えたいことがたくさんあふれています。


◆取材・文=隠岐麻琴

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