――先日の卒業まで「めざましテレビ」のお天気キャスターは6年間、務めることになりましたが、どんな仕事が印象に残っていますか?
1年目の夏休みに、1カ月間掛けて全国を回りながらお天気をお伝えする「お天気キャラバン」という企画があって。あのときにいろんな人に出会って、触れ合って、お話を聞かせてもらったのは本当にいい経験でした。どんな風に話を聞いたら相手が答えやすいかとか、そんなことを学ぶいい機会になりました。目の前のことを必死にやることしかできなかったし、楽しむ余裕もなかったぐらい大変でしたけど、今でも取材に行くときに、あの経験が生きているなと思います。
――仕事の楽しさややりがいは、どんなときに一番感じていましたか?
お天気のコーナーは、私のときは1日6回お伝えしていたんですが、一回一回に達成感があるんです。失敗したら落ち込みますが、それでも次の回にやり直せる、という良さもありましたし、20分に1回ぐらいコーナーが回ってくるので、落ち込んでいる暇もない。一度忘れて、全部が終わって、1日の終わりに反省して寝る、みたいな感じじゃないとやっていけませんでしたね(笑)。改めてお天気って本当に大事ですよね。災害時は、自分の責任の重大さみたいなものを本当に感じました。今この時に、誰かが亡くなるかもしれないような災害が起きているという日もあったので、そんなときは「自分で大丈夫なのか」って思うこともありました。
――仕事を続ける中で悔しいなと感じたことはどんなことですか?
元々原稿は用意されているんですが、私が読んでいるときに注意報や警報が出てきたら、それをどこかに入れてお伝えしなきゃいけないんです。初めはアドリブでそれを挟むということができなくて、結局お伝えできなかったことが何度かあって…。自分の技量の足らなさに、すごく悔しい思いをしていました。生放送だから尺も決まっていて、0.5秒単位で進めていかなくてはいけないので難しいのですが、危険が迫っているのに、それをお伝えできなかったことは悔しかったと今でも思います。それができるようになったのは、この2年ぐらいでしょうか…。少し余裕が生まれてきたのかもしれません。
――では、一番嬉しかった出来事は?
たくさんありますけど、卒業の日に、“こんなにみんなに愛されていたんだな”っていうのを感じることできたのは、本当に幸せで、嬉しかったですね。三宅(正治)さんからもありがたいお言葉をいただきましたし、YouTubeにもあがっているんですが、VTRを作っていただいて…。スタッフの方々も愛してくださって、育てていただいたんだな、というのをすごく感じた日でした。お父さん(三宅アナ)とお母さん(永島優美アナ)がいて、軽部(真一)さんが叔父みたいなポジションでいてくれて、お兄さん、お姉さんたちがいて、そして自分がいて…本当に“家族”でしたね。プライベートでも仲が良いんです。毎日忙しかったけれど、“ここに来ればみんながいる”って思える場所があったのは、本当に心強かったです。
――6年間、あっという間でしたか?
そうですね。でも、振り返って、すべてが美しく見える今だからこそ、そう思えるんだなぁ、とは思います。そういえば、実は卒業までの1週間、“一回も噛まずに伝える”という小さすぎる目標を掲げていたんです(笑)。それを無事、達成できたんです! 合計30回ぐらいの天気を一回も噛まずに伝えられたというのは、自分の中でちょっとガッツポーズした出来事でした! 「終わり良ければすべて良し」じゃないですけれど、当たり前のことなんだけど、ちゃんとできたなと思って、小さくガッツポーズを(笑)。
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