斎藤工「“正座して見るもの”は意外と残らない」社会的テーマを軽やかなエンタメで描く意義

2022/05/04 10:00 配信

ドラマ インタビュー

「みんなそうなんだ」自分をあえて定点カメラで見て“無責任”になる


――物語の中では、桧山を理解してくれる人だけではなく、桧山や男性の妊娠を受け入れられない人も登場します。斎藤さんご自身は、「分かってもらえないな」という人に出会ったときはどのように対応していますか?

斎藤:悲しいかな、そもそも“理解をしてもらえない”という前提で生きてきちゃいました。オーディションにも落ち続けてきましたし、「こうであってほしいが、こうじゃない」ということを繰り返してきましたし、「期待しちゃいけないんだなぁ」という…。ただその分、時おり“前説のいらない関係”の人と出会ったことも際立つんですよね。それでも、“理解してもらえない”という前提を設定せざるを得ない時代を生きてしまっている…という現状があります(苦笑)。

――“理解してもらえない”と悩んだときの、斎藤さん流の処世術のようなものはありますか?

斎藤:人の人生が一本の映画だとしたら、ほかの方にとっての僕はエキストラやいち出演者に過ぎないんですよね。他人からしたら自分は絶対に“主”ではないんだ、と自分の主眼を取り除くとすごく楽になります。無責任…と言うと良くないかもしれないですが、それをむしろポジティブに捉えたいなと思っていまして。人間はみんな、自分自身が最高潮に興味深いものですよね。それを取り除くのは一見寂しいような気もしますけど、自分の主眼を定点カメラのように置くと、むしろ気軽で楽しいと思います。みんなが“構ってちゃんだけど、構われない”んだなと理解すると、自分の虚無感みたいなものに囚われ過ぎなくていいなと。ゲーム感覚というか、「みんなそうなんだ」と思うようにしています。

斎藤工撮影=山田大輔


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