――平子さんはこれまでギャルとの接点はなかったのですか?
全く。唯一覚えているのが、16歳のときに地元の駅前でギャルグループに小石を投げられてゲラゲラ笑われたことだけ。あれが最初で最後の関わりでした。小石を通じて関わっただけですね。
――それは辛い思い出ですね。
僕の中では、あの頃のギャルというとまだちょっと奔放で自分勝手でワガママだったイメージがあって。本当にギャル文化の走りのときに学生だったので過渡期を見たというか。ルーズソックスが流行って、指定校カバンを持つのがブームになり、そのうち東京の当時男子校だった“昭和第一学園”のバッグが全国的にトレンドになって、それを落書きしたりバッチで彩ったりして。気づいたらガングロギャルが生まれてヤマンバになって…。本当に、ギャルの変革期をタイムリーで見てきたんですよ。
ちなみに僕は福島県出身なんですが、ギャルは渋谷のものだけではなかったですね。もちろんブームは東京から北上してくるので、東京→千葉→茨城→福島と3、4カ月経てからたどり着いていましたが。その頃の僕は、「東京ストリートニュース」や「egg」といったギャル&ギャル男が載っている雑誌を読んでいたので、「あぁこういうのが3カ月後に入ってくるんだ」と常に心の準備をしていました。まぁ桜前線みたいな感じですよ。
――興味はあったのにギャル男にはならなかったんですね。
僕はどうしても気質が対極だったので。もう飲み込まれる側ですよ。ギャルたちがいると自然と体が避けてしまうというか(笑)。当時は、ヤンキー文化からギャル文化に変化している途中でした。ちょうどグラデーションの時期というか。太いズボンを履きつつ、金髪でツンツンにしているみたいなギャル男になりかけのヤンキーがゴロゴロいたけど、僕はならなかったし、なれなかったです。