ニューヨーク「賞レースに振り回されていた」ブレイク前の苦悩とブレイクの“決定打”

昔と全然変わった…ブレイクの実感は「ないと言ったら嘘になります」

ニューヨーク※ザテレビジョン撮影


――なるほど。ちなみに巷では「ニューヨークはブレイクした」とよく言われますが、お二人はブレイクした実感はあるのでしょうか?

嶋佐:今日、ロケで熱海に行かせていただいたんですよ。街中を歩いていると、熱海のおばあちゃんが手を振ってくれたりして。これがブレイクなのかはわかりませんが、「ああ、こういう世代の方たちにも知っていただけるようになったのか」と感慨深い気持ちになりました。

屋敷:「売れたという実感がありますか」と聞かれて「ない」と言ったら嘘になります。やっぱり、貯金の残高を見たり、移動でグリーン車やタクシーを当たり前のように利用していることをふと俯瞰で考えたりすると「昔と全然変わったな」と思いますしね。でも、みんなに知ってもらえている状態かといえば、まったくそんなことはない。ロケをしていても、女性二人にインタビューをしてみたら、一人は僕らのことを知ってるけど、もう一人は知らない…なんてことはザラにありますからね。そういった意味じゃ、まだまだやなと思います。

――ニューヨークのお二人はデビューして間もない頃、2013年に放送されたバラエティ番組「バチバチエレキテる」(フジテレビ系)のメンバーに選ばれて、比較的早く世に出てきた印象があります。あの当時、「このまま売れる」という自信はあったのでしょうか?

屋敷:「よっしゃ!売れた!」「波に乗った!」「大船に乗った!」みたいな“浮かれ”はなかったです。ただ「大事な時期が来た」とは思っていました。たとえるなら、パチンコの通常モードから当たるかもしれない激熱モードに入ったみたいな感覚ですね。「バチバチ」が終わって「ハズレ~」となりましたが(笑)。

嶋佐:あの頃は一番ワクワクしていましたね。それこそ、同期のデニスをはじめ若手何組かで「めちゃイケ」「はねトび」みたいな雰囲気の番組がスタートして気持ちが昂って、無我夢中でやっていました。でも半年で番組が終わってしまい、あっという間過ぎて何も考える余地がなかった…というのが正直なところです。

屋敷:だから「ここで売れなきゃヤバいぞ」みたいなプレッシャーはなかったです。本当にパチンコの演出を見ている気分でした。「当たったらええな~」と(笑)。

――では今は、パチンコにたとえると“確変”が半永久的に続いているような感覚ですか?

屋敷:いやいや、いつ終わるかわからないですよ。そもそも、2021年の4月からレギュラー出演中の「ラヴィット!」(TBS系)や「NEWニューヨーク」(テレビ朝日系)とか一瞬ですべて始まったので、終わる時も一瞬でバーンと全部終わると思っちゃいますね。

“賞レースに振り回されていた”ブレイク前…「なんで審査員に決められなあかんねん」との思いも


――そもそも、お二人がブレイクするきっかけは何だったのでしょうか?

屋敷:決定打になったと思うのは、初めて決勝に進出した2019年の「M-1」です。ただその前からちょっと良い感じだったというか。元をたどれば、その年にYouTubeを始めたことと、単独ライブの形を変えたことも大きかったかもしれません。

――単独ライブは具体的に何を変えたのでしょうか?

屋敷:ずっと年に2回、ルミネとNGKで1日の単発でやらさせてもらっていたんですけど、吉本以外の外部のスタッフさんの力を借りて年に1回、複数日程でやるようにしたんです。そしたら単独でなんとなく稼げるようになって、YouTubeでも収益が上がるようになった。その結果、あまり他の要素に惑わされずに済むようになった気がします。

――「他の要素に惑わされずに済むようになった」というのはどういう意味でしょう?

屋敷:以前は賞レースだけにずっと賭けていたんです。だけど、よくよく考えたらそれって運頼みのような気もしてきて。もうちょっと自給自足というか、自力でやっていける芸人になりたかったんですよね。思い返してみれば、僕らは賞レースにすごく振り回されていました。賞レース用にネタ作りをしていたわけでもなかったのに、賞レースの決勝さえ行けば売れるとずっと5年ぐらい思っていたんです。「ラストピースは賞レースの決勝だ」と。

ところが、なかなか決勝に行けない。おまけに「なんで落ちんねん」みたいな年もある。こうした状態が続いたことで、「俺らが売れる売れんを、なんで準決勝の審査員とかに決められなあかんねん」と思っちゃったんですよね。でも結局、「M-1」や「キングオブコント」の決勝へ進出したことで完全に売れたので、「結果、賞レースやった」と、僕らの中で矛盾した気持ちがありますが(笑)。