――アナウンサーを目指したきっかけを教えてください。
私の母校が大阪桐蔭高校で高校野球が強かったんですが、応援に行っていたときに、アルプススタンドでリポートしているアナウンサーの方を見て、いいなぁと思ったのがきっかけです。それまでは、よくケガをしていたので医者になりたいというのは思っていて、理系を専攻していたんですが、難しいなと思って文転したんです。ちょうどその頃でもありました。
――その後は、どのように目指していったのでしょうか。
とりあえず大学は東京に行こう、と思って(笑)。でも大学の放送研究会の雰囲気が自分の性格と合わなくて入らなかったんです。集団行動が苦手というか、もっと自由に動き回りたかったですし、機械を扱うことが多いので、それが一番厳しいなと思いました。結局アナウンサーのためのグループやコミュニティーに入ることはありませんでしたね。ただ、放送研究会に入っている友達が多くて、就職活動の情報はいろいろ聞いていたので、大学3年生のときに、各局のアナウンスインターンは受けていました。そのまま就職活動が始まって、結局、全部落ちてしまったんですが、内定は欲しかったので、その後、一般企業も受けました。
――セント・フォースに所属したのはその頃ですか?
はい。4年生の6、7月くらいに、知り合いの紹介で、「話を聞きに行ってみたら?」という感じで行ってみたのですが、社長のお話を聞いて、その場で所属を決めました。そんな状況だったので失うものもないし、特に準備も必要なかったですから(笑)。でも、10月の改編までにお仕事が決まっていなかったら一般企業で働きます、と。そうしたら運良くすぐに「めざましテレビ アクア」のレギュラーが決まって。本当にタイミングに恵まれていたと思います。
――この事務所なら、やりたかった仕事につながるかな、という思いもありましたか?
そうですね。でも、漠然としていたと思います。最初、セント・フォース所属のアナウンサーと、テレビ局のアナウンサーの違いがよく分かっていなかったけれど、でもすごく憧れる、みたいな。いまだにうちのおばあちゃんもそんな感じですが、特に説明もせず、「そうそう」って言っているぐらいです(笑)。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)