――反対に、批判的なコメントもあったと聞きますが、それについてはどうお考えですか?
内容が内容なので、賛否が出るだろうなと思っておりました。特に「環境に恵まれているくせに」という意見については、本当にそう思います。日本に生まれ紛争の心配も無く、両親がいて何不自由なく育ててもらい、こんなに恵まれているのに、明日食べるものに困ってもいないのに、なぜ自分はこんななのだ、申し訳ない、とずっと思っていました。そして、それと同時に物質的豊かさと心の充足との違いや、自殺の多さについてもずっと考えていました。私が好きだった音楽家のAviciiや映画監督のトニー・スコットは、凄い才能を持ち、その分野で成功して富も名誉も手に入れたのに自殺してしまいました。なぜ人は充分に生きられる環境にいても自ら死を選んでしまうんだろう、肉体は生きられても心が死んでしまうのは何故だろう、と。自分の話に戻すと、私と同じ家庭で育った姉は鬱になることもなく、家庭を持ち、子を育てながら働いています。それなのに、私が心を病んだのは何故か。明確な原因はわかりませんが、誰のせいでもないと感じています。強いて言えば私の、自分にこだわりすぎる気質でそうなったとしか分かりません。
――現在、過去の武村さんと同じように社会生活を送れず悩んでいる方々へ伝えたいことはありますか?
これは作品内に収まりきらなかったことなのですが…私が布団から出られなかった時や無職の時、考えていて特につらかったのが「自分は社会から外れてしまった」ということでした。どこにも所属していなくて、何の肩書きもなくて、自分は社会から浮いている気がしていました。心細くてどこかに居場所が欲しいと思いました。でも、漠然と大きなイメージがある社会も元をたどれば小さなコミュニティの集まりで、その小さなコミュニティの中にひとりひとりの人間がいて成り立っています。始まりはひとりの人間です。布団の中から出られない自分も、既に社会の一部でした。問題は、「社会から外れた」と感じさせている社会の構造や、人との繋がりの意識が希薄な自分の心でした。誰しも人間はひとりでは生きられません。私もそれまで多くの人に助けられ、支えられて生きてきました。なのに、繋がりの実感が不充分だったのです。業務をこなして報酬を得るのが取引ですが、私は生活や人間関係にも取引の意識を持ち込み、義務と成果や結果ばかりを求めて、生きる楽しさや愛を見失い動けなくなりました。「こうでなければ愛されない」「こうすれば愛される」と思っていました。それが、繋がりの実感の希薄さの原因です。人と人の心は取引では繋がらないし、愛も取引で得られるものではありません。人と繋がり愛し愛されることは、形にも数字にも残らない些細な思いやりの積み重ねと、自分の心を素直に見せることでした。生きる楽しさは得る結果では無く、心の望みに手を伸ばすことそのものでした。肩書きや社会的な位置は関係がなく、自分の心で関わったものが繋がりとなり居場所となるのだと分かりました。今苦しんでいる人が少しでも、疎外感や取引の意識から解放されることを願います。あとは、しんどい状態から少し心に余裕がでてきたら、旅することを猛烈におすすめします。
――作品を楽しみにしている読者へメッセージをお願いします。
いつも読んでくださってありがとうございます。メッセージを頂くたびに飛び上がって喜んでいます。良かった、面白かった、一言でも凄く嬉しいです。ひとつひとつにお返事を返せませんが、全て読んでいます。出産を終えたばかりで、なかなか漫画が更新できなくてすみません! 今後もおもしろいものを描いていきますので、これからも応援をよろしくお願いします。
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