その後、同じくフリーで活動していた当時の同居人、クロコップの荒木好之が、“本気でお笑いをがんばる”と宣言したことであせった先生は、松竹芸能時代のマネージャーを頼りに事務所を紹介してもらい、現在、所属するグレープカンパニーに入る。
相変わらず“自分はおもしろい”という自信を持ち続けていた先生は、毎月、行われていた事務所ライブで“10ヵ月連続最下位”という事態に陥ってしまうものの、当時からあこがれの存在であった平成ノブシコブシの吉村崇を引き合いに出し、「大丈夫だ!吉村崇もネタでウケてないし!」と、吉村を心の支えに過ごしていたと打ち明けた。
また、人生で逃げ続けてきた自身のようなタイプは、「自分が得意なポジションさえ与えてくれれば、実力を発揮できる」と分析した先生は、売れる環境を手に入れるため、当時すでに事務所一の売れっ子だったサンドウィッチマンに接近し、ツアーやライブの手伝いをするようになる。
そのとき、小道具のギターを見つけたサンドウィッチマンの富澤たけしから「ギターが弾けるんなら、ネタで使えよ!」と言われたことが、歌ネタを始めるきっかけになったと語った先生だが、当時は「俺は正統派のしゃべくりで売れるんだ!歌ネタなんてダセエことやんねえよ!」と思っていたとも激白し、そんな思いを抱えながら、いやいや歌ネタをやるようになった先生が、「R-1グランプリ」出場を決意し、歌ネタと真剣に向きあうためにとった初めての行動や、歌ネタを極めるために努力したことなど、今では自身を代表するネタ“僕の好きなもの”が誕生するまでの軌跡をふり返った。
そして、授業の最後には、先生が、自身のしくじりから学んだ、“なんの裏付けもないのに才能があると勘違いしている人に伝えたい教訓”を発表した。
この記事の関連情報はこちら(WEBサイト ザテレビジョン)