――コロナ禍での制作でやりにくさは感じませんでしたか?
菅原:アルバム制作に関しては、それほどストレスはなかったです。滝はコロナ以前から茨城に自分の作業場を持ち、そこでデモを作っていましたから。ただ、今回はメンバーができるだけ接触しないよう、個別の録音を徹底しました。最初にドラムのかみじょうちひろがスタジオで叩き、ベースの中村和彦は全曲を自宅で録音しました。それらの音が重なった音源をもとに、僕がギターを弾いていくという流れです。
――では、メンバー間でのディスカッションはいつするのですか?
菅原:あまりしませんね(笑)。滝のように表現したいものが明確で、それをデモに落とし込めるミュージシャンだと、あまりディスカッションが要らないんです。録りながら、「これはこの方がより良くなる」とか、そういう提案をすることはありますが、意見を戦わせるようなことはまずないです。かつて、メンバー全員で曲を作っていたときはそういうこともありましたが、分担がはっきりしたことで今はうまく回っているなと感じます。
――バンドメンバー同士がスタジオでセッションしながら少しずつ形にしていくのと違い、事前に音を綿密に構成しておかないと曲として成立しませんよね?
菅原:ええ。もともとかなり緻密に音の構築を組み上げて曲を作るバンドなので、設計図に対して間違わないように演奏していきます。ただ、デモからそれぞれが生音に代わることで、そこにバンドサウンドとしての熱さだったり、シャープな音を加わっていくんです。その匙加減を含め、どこまで熱や鋭さを出していくか、それが僕らのレコーディングですね。
――歌詞にも、この3年間の影響は出ていると思いますか?
菅原:それはあります。たとえば、「白夜の日々」は、2020年、コロナで緊急事態宣言が出されて、移動が制限されたときのことを書きました。「君に会えなくなって100年経つ」という表現は、きっと親しい間柄だったら冗談ぽくかわす言葉だと思うんですよ。と同時に、9mmのファンなら、文字通り100年ぶりに会ったと感じてくれるかもしれない。そんな風に思いながら書きました。
2020年に「白夜の日々」を発表しましたが、あのときに「こういう気持ちだよ」って伝えられたことは良かったなと思いますし、それによって本来のメッセージも伝わったのかなと思います。今回は、もっと気楽に聴けるというか。元気なんだってわかってもらえるんじゃないかな。
――ただ立ち止まっているのではなく、手探りながらも着実に前に進んでいるんですね。
菅原:はい。夏フェス賛歌をイメージして書いた「All We Need Is Summer Day」にもその影響は出ています。「過ぎ去った季節が今でも/ずっと“All we need is...”僕を呼ぶ~」という部分は、新しい出会いがこの3年の間にあったし、コロナ禍の前のライブがしたいと言っているわけにいかないよねと。
この曲はサウンドを聴きながら、「ポカリスエットみたいだな」って思ってたんです。別にCMに曲が使われているわけじゃないのに、勝手にそうした映像が浮かんでくるというか。つまりそれだけこの曲にパワーがあるってことですから、いつCMに使われても大丈夫です(笑)。
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