今の村の住人は、全てがガンジャの隊員だったわけではない。村ができて150年の年月。地上では大穴の街オースが生まれ、大勢の探窟家が呪われた大穴に挑んでいった。中にはリコたちのように、ラストダイブを行い、ここにたどり着いた探窟家がいるのも間違いない。最初の礎となったガンジャ隊と、後にたどり着き、冒険を諦めて成れ果てになった探窟家。今話では、古い住人と新しい住人の区別もさりげなく描かれていた。
1つが言語の違い。ヒトツメのパッコヤンが元ガンジャ隊であるのは前話で明らかになっている。彼女たちの仲間はリコたちが話す言葉を「新しい連中の言葉」と言い、理解できていなかった。そして、新しい言葉を話すムーギィは、大穴をアビスと呼んでいた。アビスは後の時代に使われだした大穴の呼称だ。振り返ってみても、ガンジャの隊員は一度もアビスとは口にしていない。きっとムーギィやマジカジャは冒険を諦め、ここでイルミューイに心身を捧げて村の一部になった探窟家なのではないか。
本作では、作中明確に答えが提示されることはあまり多くない。だからこそ映像の端々や会話、キャラクターの表情から読み取れることは多くある。今話で特に登場頻度が上がっていたパッコヤンの存在もその一例だ。彼女はガンジャ隊当時、ヴエコと親しい間柄にあった。アニメではカットされているが、原作には特別な関係だったことが分かる1コマが描かれている。そんな過去があるゆえに、さりげなくヴエコに近付き、気付いてほしそうに、話したそうにもじもじするパッコヤンの姿はとても歯がゆく、可愛らしい光景だった。
レグが約束を果たしたことで村に踏み入れたファプタは、強烈な怒りと憎悪を剥き出しにし、この村の全てを滅ぼすことを宣告する。復讐に満ちた映像の迫力もさることながら、ファプタ役・久野美咲の演技は真に入るすさまじいものだった。
アニメファンの間では、久野の十八番は小さな女の子役で知られている。冒頭、レグにじゃれつくファプタの可愛さがそんな久野の演技にマッチしたものだっただけに、後半、腹の底から復讐を吐き出すファプタの声は落差がすさまじい。第7話ではイルミューイの慟哭を、今話では沸き上がる怒りを表現し、“声の俳優”と言われる声優のすごさを改めて実感させてくれるシーンと言えただろう。
久野自身もキャラクターが声に宿るような感覚にあったようで、放送後には自身のTwitterで、「ファプタの最後の口上のシーンは、怒りを通り越している感情だったので、表現するのがとても難しかったです。ファプタの気持ちになったら自分でもビックリするくらい低い音が出ました…」と、当時のアフレコのことを振り返っている。
ラストではベラフの下で夢に捕らわれていたナナチが目を覚ます。ナナチが見ていた夢は、誰のものとは分からない記憶のようなものだった。まるで自分とミーティを見るような2人。ようやく見つけた2人の宝物。これはベラフが見せたものなのか。特に印象的だったのは、このときに流れた安らぎのある歌だった。エンディングロールでは「べラフの子守歌」とクレジットされている。実は原作を開くと、このシーンにはコマの所々に小さな吹き出しがあり、判別のできない何かが書いてある。今回の放送を観るまでこれがベラフの歌だと気付けなかったが、原作を補完するのではなく、このように新たに世界を広げてくれる演出になっているのが本作アニメ化の素晴らしいところだ。
「目覚めの時きた。ナナチ、きたのだ。ここから先は夢ではない」と、まるでナナチを再び冒険に後押しするように目覚めさせたベラフ。彼の真意はどこにあるのか。次回第10話は「拾うものすべて」。これまで予告イラストに描かれたキャラクターは内容とリンクしてきた。地獄の連鎖が続いていたが、次回は夢から覚めたナナチの復活が期待できそうだ。
■文/鈴木康道
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