声優としてTVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』などに出演、さらに映像作品や舞台俳優としても幅広く活躍する佐藤日向さん。お芝居や歌の表現とストイックに向き合う彼女を支えているのは、たくさんの本から受け取ってきた言葉の力。「佐藤日向の#砂糖図書館」が、新たな本との出会いをお届けします。
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思い出は、時間が経つと少しずつ形を変える。自分が積み重ねた経験によって、ふと振り返った時に思い出す記憶の鮮明さや思い出の質が変わってくると、私は思う。
今回紹介するのは、夏にぴったりな重松清さんの『カカシの夏休み』だ。本作は3編からなる中編集で、どれも「死」が関連していた。疎遠になっていた同級生の死がきっかけで37歳で再び集まった大人たちは、同級生の死とどう向き合うのか。妻を亡くして、かつらをかぶる先生が整形手術を望む娘といかに親子の関係を築き直すのか。同級生の自殺に巻き込まれた少女が悩み、苦しみながらも過去との折り合いをつけていく。この3編で構成された本作は、重松さんが紡ぐ言葉たちによって読了後にじっくり考える余白を読み手に残してくれていた。
中編を読むのは初めてだったので、最初はどういったものなのか分からずにページをめくっていたが、重松清さんが描く学校という場所は、懐かしく感じられるほど空気感が現実味を帯びていて、私が特に苦手だった「個人では自分の意見を主張するのに団体で集まると簡単に意見を曲げてしまう独特な空気」が一冊に詰め込まれていた。学校は子どもの居場所と思いがちだが、"大人"は先生という形で存在し、彼らの視点で文字を通して見る学校は非常に興味深かった。
特に印象的だったのは「親や教師はお手本なんかじゃない。ただ、オトナなんです。努力や我慢が本当は報われないことをコドモより知っていて、でもいつか報われるんだとコドモより信じてて・・・信じたいですね、ぼくら・・・。」という言葉だ。大人になるにつれて、諦める方が楽だから、という理由で挑戦することを諦めたり、子どもの頃に持っていたポリシーや譲れないものも、社会に出ることで時には捨てなければならなくなり、"譲る"という行為がどこか日常的になっていたような気がする。
本作は、子どもの頃の私が大切にしていたものを、「いつの間にか忘れていた」というよりも「考えないようにして、思い出さない癖をつけていた」のかもしれない、と気づかせてくれる作品だった。私は子どもの頃から良くも悪くも頑固で、自分の意見を曲げることが大嫌いだった。だから、男の子に「それ違うよ」と言われれば論理的に言い返していたし、先生に注意された時も自分の意見を信じて疑わず、まっすぐ前を見ていた。
だが、まもなく24歳になる私は、いつのまにか「なんでもいいよ」と言うのが癖になっていた。周りに合わせる方がうまく事が進むことに気づき、自分の意見を強く持ちすぎると心が傷つくことを学んでしまった。大人というのは面倒だけど、責任があるからこそ子どもとは違う意味で頑張れる、本作はそう思わせてくれた。まだまだ私が想像していた大人とは程遠い今だが、また経験を重ねて少しでも理想の大人に近づけた時、本書のページをめくりたい。
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