――弘中さんご自身は、アナウンサーにいつなりたいと思ったのでしょうか。
就職活動の時です。当時、場数を踏む意味で、業界を絞らず、とにかく色々な企業を一通り受けてみようと考えていました。そんな中で、完全にミーハー心というか、めちゃくちゃ軽い気持ちで、おそらくこの先一生立ち入る機会がなさそうなテレビ局を受けたんです。
――当時面接官を務めたテレビ朝日の加地倫三プロデューサーは「トークが上手かった」と評価していたそうですね。
らしいですね。でも正直、後付けだと思うんですよ(笑)。結局のところ、単純に受け答えが印象的だっただけじゃないかなと。あとは「ダメで元々」みたいな軽い気持ちで受けたから、ガチガチに緊張することもなく、等身大の大学生っぽかったことも良かった気がします。
――話は変わりますが、本の中では「生まれ持ったこの高い声がコンプレックスでしょうがない」とも書かれています。コンプレックスに感じている理由を聞かせていただけますか。
声については、テレビ朝日に入社する時点から、一般的にも、アナウンサーとしても「高過ぎる」と指摘されていました。高い声はキンキンして聞きづらく、お伝えする時の説得力にも欠けてしまうから「アナウンサーに向いてない」と言われていたんです。だから、声を低くしようともしたのですが、生まれ持っての声質ですし、なかなか変えられないですしね。それに私の家族って全員、声が高いんですよ。そんなわけで「無理だな」と諦めました。
――なるほど。
声も一つの個性ですしね。何より、テレビ朝日はアナウンサーがたくさんいる大きな会社ですから、私が説得力のある声でニュースを伝えなくても、他に適任者がいるわけで。「お前が言うな」とお叱りを受けてしまうかもしれませんが、先輩も後輩もみんな良い声をしていますし、そこはもう「お任せします」と。私は声が低くなくてもできるお仕事で頑張ります。
――もう一つ、「カテゴライズされる窮屈さや、謂れのない憶測も心から嫌だった」と書かれていたことも印象的でした。
「女子アナなのに」と言われることがすごく多くて。なんか、「うん…何?」という感じです(笑)。テレビ番組での私たちは“素材”であって、それを切り取ったり、編集したりして世の中に出すわけですよね。テレビの中の私は、キャラクターがのっている部分もあるし、切り取られ方次第で見え方も変わってくるし。「私であって私でない」という感覚があるんです。でもその私の姿を、世間の人は本質だと捉えてしまったり、ちょっと違った見方をされたりしたこともあって辛かったですね。