――では、お二人の一番の危機というと、いつでしたか。
卓也:芸人になってから、1回だけあります。
有輝:全然売れていない時に、偉い人の前でネタをする機会があったんです。花火大会の時期だったんですが、僕らがネタをやっている時に、その人の後ろの窓から花火が見えたんですよね。そうしたらその人がネタの最中に振り返って花火を見ていて。ネタ見せが終わった後、「あの時、お前が気の利いたことを言えよ」「言えるわけねえだろ」「あの人、俺らに興味ねえだろ」「それ言っちゃおしまいだろ」みたいな感じで、僕らが喧嘩みたいな雰囲気になったんです。それから、これはもう修復しないといけないということで、2人で飲みに行って。そうしたらお酒も入ったことでどんどん気が大きくなって、「表出ろ」みたいな。外に出た瞬間に俺が卓也を背負投げしたんです。そのまま馬乗りになって、拳で行こうかなと思ったら、下で卓也が泣きながら制しようとしてきて。その瞬間に俺も「とんでもないことしちゃったかも」と思ったんです。
卓也:それは昔の親の教えですよ。僕は体がでかいからやり返すこともできたんですけど我慢しなきゃと思ったら、悔しさだったりいろんな感情で涙が出て、もう大声で「わー!」っていうしかなくなったんです。
有輝:そこからは、俺らの仲間は相方しかいないんだ、と話し合いました。お互いが仲間なんだから、どっちが悪いとかじゃない、と。
卓也:花火の件は、俺らの作戦が違ったせいなんじゃないかという風に、2人で消化することにしましたね。
――お2人の学生時代の文化祭で、特に印象に残っているエピソードはなにかありますか。
有輝:僕は高校3年生の時の文化祭で漫才コンテストみたいなものに出たんですよ。僕を含めて3組出場したんですが、他の2組は実際の芸人さんのネタをそのままコピーしていたんです。僕はコピーしてもいいなんて知らなかったので、袖で聞いていて「え、めちゃくちゃ面白い」「こんな面白いネタできるやついるんだ」と思ったんですよね。そんな中、僕らはオリジナルで訳の分からない、今考えてみれば全然面白くないネタをやって、めちゃくちゃスベったんですよ。苦い思い出です。今回の文化祭で10年越しに取り返そうかなと思っています。
卓也:僕はバンドですね。文化祭のトリで演奏させてもらったんですが、僕が通っていた学校は住宅街にあったので、騒音はよくないんですよ。「19時以降は音を出してはいけないから、19時で完全に終わってください」と言われていました。でも僕らの出番が18時55分くらいだったので「19時過ぎちゃうじゃん」と思いながらステージに立ったんです。最後の曲を歌う前に「もう19時過ぎてるよな」と思って、袖にいた先生に「もうやめなきゃダメですかね」と言ったら、その先生が「俺、時計持ってねえから分かんねえ」って。その瞬間にドラムのやつが、次の曲のカウントをやって盛り上がりました。粋なことをやってくれたな、と思い出に残っています。
――ロックな先生だったんですね。卓也さんは、音楽の道に進みたいとは考えなかったんですか。
卓也:考えましたよ。バンドで飯を食っていくのもいいよなって。そういう時もありました。でも今回の文化祭では自分で曲を作って、最後にみんなで歌うみたいな企画もあるので、その時の夢が叶うのかなという思いもありますね。
――最後に改めて、お二人からメッセージをお願いします。
有輝:こんな豪華なゲストの皆さんが集まるのはたぶん、今回で最後だと思います。一夜限りのライブ、一夜限りのコラボ。この規模感でなにかをするというのも、僕らにとって初めてのことではありますが、最初から最後まで笑って、大いに盛り上がっていただければなと思っています。
卓也:今回、僕ら両方の母校の現役の高校生に協力をしてもらって、入り口に文化祭のようなアーチを手作りしたんですよ。当日も本当の高校の文化祭っぽい空間を作るために手伝ってもらうことになっているので、コロナの影響で文化祭を体験できなかった方たちにも文化祭の雰囲気を味わってほしいと思いますし、僕らのような大人にもぜひ、懐かしさやエモさを感じてほしいですね。
◆取材・文=山田健史