明松:1997年の秋に「めちゃイケ」に異動になったんです。最初、スタッフルームに挨拶にいったら全員いなくて、置いてあった台本を見たら「こんなことまで練られてるのか、面白い!」と。ひとりでスタッフルームでこんな分厚い台本読みふけりましたね。超やりがいあるなと思いました。
何の仕掛けも設定も用意されてないように見えて、ちゃんと面白くなるのが一番優秀な演出なんですよね。(『めちゃイケ』総監督を務めた片岡飛鳥さんは)お笑いが大好きで、過去のお笑いの記憶力がすごい。自分が面白いと思う引き出しをたくさん持っていて、どの引き出しを誰にぶつけるかっていう選択も正しくて。僕からしたら化け物みたいな感じでしたね。先輩を追いつけ追い越せでディレクターをやっていたんですけど、縮まる感じがしなくて。39歳で「プロデューサーやらせてください」って言いました。そっちの方が番組に貢献できるなと思って。
――高橋:プロデューサーは向いてました?
明松:たぶん向いてましたね。モノを作るということに対して好きっていう気持ちを持てさえすれば、あとは自分が貢献できる場所を探して自分に合った場所を探せばいいと思いましたね。
――高橋:「めちゃイケ」のプロデューサーは番組が終わるまでやられてたんですか?
明松:2018年の3月に番組が終わったんですけど、2016年に僕は営業になったんです。編成局長から電話がかかってきて。
――高橋:青天のへきれきやん。
明松:(内示を聞いて)飲んだくれましたね。人生で初めて3日間、目的もなく酒場に行きました。「なんで僕が営業に?」って聞いたら、「営業が欲しいって言った」って言われて、それに救われましたね。営業の人間は番組を作ったことがないから番組がどう作られてるのか教えてほしい、と。社外にフジテレビのファンを作ってほしいんだ、とも言われました。包み隠さず全部言ってくれて、それがうれしくて。
――高橋:営業はどうでした?
明松:「この番組でこういう商品使ったらこういうゲームできたりしない?」とか、そういうところまで嚙み砕く作業をして。制作と営業を両方経験してる俺だからできる作業だなとは思いました。もし、営業を経験してから「めちゃイケ」に戻っていたら、番組をもう一個上のステージに持っていけたんじゃないかな、と思うことはありますね。
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