ナイツ、所属の漫才協会のしくじり“漫才新人大賞”“漫才四天王”を暴露「身の丈にあった活動が必要」<しくじり先生>

2022/10/26 16:50 配信

バラエティー

ナイツが登壇した反面教師バラエティー「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(C)AbemaTV,Inc.

漫才協会・副会長の塙宣之、常任理事の土屋伸之からなるナイツが登壇した、過去に大きな失敗をやらかした“しくじり先生”たちが、自らのしくじった経験をさらけ出し、人生の教訓を伝授してくれる反面教師バラエティー「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(毎月第1~3金曜夜9:00-9:30、第4金曜テレビ朝日地上波放送終了後~/ABEMA SPECIALチャンネル)の10月21日の放送では、2021年、漫才協会所属の錦鯉が「M-1グランプリ」で優勝するなど、近年、盛りあがりを見せている漫才協会だが、長い歴史のなかにはさまざまなしくじりがあり、そこで、今回はナイツが所属してからの20年間をふり返り、漫才協会のしくじりと改革の歴史をひも解いた。

漫才協会について


まずは漫才協会について、漫才ブームが起こった1980年代には、ツービートも所属するほど勢いがあったと紹介したナイツは、浅草に行って、芸人をスタートするというのが当時の基本の流れであり、演芸番組も多くあったため、「協会に入ることが、テレビ出演のきっかけ」という時代だったと説明した。

しかし、1990年代に入り、各事務所が“お笑い養成所”を創設したことによって、徒弟制度が一般的であったそれまでとは変わり、漫才協会に若手が入ってこなくなるという事態に見舞われてしまう。

そこで、当時、芸歴1年目だったナイツに白羽の矢が立ち、2002年にマセキ芸能社の社長から「ナイツには漫才協会に入ってもらう!」との辞令が下されたのだと明かした。そして、漫才協会に入ったナイツだが、「昼は浅草東洋館、夜は事務所の若手ライブに出る」という日々が始まり、「漫才のテンポをどっちにあわせていいかわからない」となやむようになる。塙は「(東洋館のお客さんは)お年寄り、さらに少ない。早口だと聞いてくれない、ウケたいからどんどん(テンポが)遅くなっていく。そうすると夜の(事務所)ライブで、(テンポを)早くしようとしても修正ができなくなってしまう。結果、どっちもウケない」と当時の苦悩を明かした。