──では藪木さんが、一から自ら企画して立ち上げた番組は?
「深夜の特番はいくつかありましたけど、さっきの『OFJ』から派生した『OFJ龍(ドラゴン)』('03年)という番組には、かなり思い入れがありますね。アンジャッシュ、エレキコミック、ホームチーム、アメリカザリガニ、シャカといったメンバーで、ユニットコントもやったりしたんですけど、そこでユニットコントやコラボネタを作ることの面白さに目覚めた感じはあります」
──では、ご自身のターニングポイントというと、その「OFJ龍」になるのでしょうか?
「それもありますけど、僕の中では『爆笑レッドカーペット』が一番大きいかもしれません。僕は何年間か、演出担当のレギュラー番組が『新堂本兄弟』('04~'14年)だけになった時期があって。そのときに、お笑い番組もやりたいっていう熱が高まってたんですね。そんなときに、急に放送枠が空いて、急場しのぎで作った特番が『レッドカーペット』だったんですよ」
──「爆笑レッドカーペット」は後にレギュラー化されて、若手の芸人さんが次々と1分間のショートネタを披露するという斬新なスタイルで一世を風靡しました。
「僕にとっては、あの番組で多くの芸人さんと出会えたことはすごく大きくて。芸人さんにネタを見せてもらうことを、僕らは“オーディション”とは呼ばず、“ネタ見せ”と呼んでいるんですけど、『レッドカーペット』のネタ見せでは、常に『短いネタをさせてごめんなさいね。でも、今テレビでネタをやるんだったら、こういう形もアリだと思いますよ』という気持ちで、芸人さんと相対していたんです。その思いが芸人さんや事務所の方々に届くまで、だいぶ時間は掛かったんですけど。とにかく僕は、昔のテレビマンみたいに、テーブルに足を乗っけて『はい、次ー』みたいな(笑)、そういう失礼なことは絶対にしたくなかった。『芸人』ではなく、ちゃんと『芸人さん』とさん付けで呼ぶべきだと思ったし。
今でも僕は、芸人さんにネタ見せしてもらうときは、『ネタ見せに来るのが楽しい』とは行かないまでも、『役に立ったな』とか、『今回はダメだったけど、また来よう』と思ってもらえるような、彼らにとって何かプラスになるような場所にしなくちゃいけないと思ってるんです。だから、『レッドカーペット』がレギュラー化してからも、ある程度のクオリティーを保つことができたのは、われわれスタッフと芸人さんとの信頼関係が築けたからだと思います。その中で、勢いのある若手の子たちが出てきてくれたからこそ、『THE THREE THEATER』('08~'09年)、『爆笑レッドシアター』('09~'10年)にもつながっていったわけで」
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