さらば青春の光、個人事務所立ち上げから“10期目”突入…「おもろいこと重視」で右肩上がりの売上に

ノリで設立した個人事務所…スキャンダルも乗り越え“10期目”に

さらば青春の光※ザテレビジョン撮影


――2022年10月でお二人の個人事務所「ザ・森東」が設立から満9年となり、今はいわゆる“10周年イヤー”に突入しています。改めて、事務所設立の経緯を聞かせてください。

森田:ザ・森東は、僕らがフリーになってすぐの2013年5月に始まった冠バラエティ「さらば青春の光ふぁいなる」(TOKYO MX)で、「どこの事務所も入れてくれないから、自分らで会社を作ろう」みたいな番組内のノリで設立しました。番組は2014年9月に終了したんですけど、会社自体は本当に登記していたから、どうせならやれるところまでやろうと思い、気付けば10期目が経っていたという感覚です。

――会社設立当初から仕事はあったのでしょうか。

森田:いや、なかったです。当時は賞レースが生命線のような生活で、「キングオブコント」(TBS系)が一年のうち唯一出演できるゴールデンのバラエティ番組でした。賞レースのために1年間費やし、賞レースのために単独をする…という時期でしたね。

――ブクロさんは会社立ち上げ当時、どのような苦労がありましたか。

東ブクロ:独立直後に1回目のスキャンダルがあって…(笑)。

森田:感慨深いよな。「俺のスキャンダルをよく乗り越えたな」ということでしょ?(笑)。

東ブクロ:まあ、そこからよく10年もなんとかやってこられたなと思いますね。

森田:いや、なんとかやってん、俺らが(笑)。

――森田さんは「ザ・森東」の設立当初から、自分の会社が10年も続くと思っていましたか。

森田:最初はそう思っていなかったです。その日その日、その年その年を乗り切ることで精一杯でしたから。でも数年前くらいから「このままいけるかな」と手ごたえを感じてますね。

「キングオブコント」卒業が転機に…「すごく皮肉な感じがありました(笑)」

DVD「五穀豊穣」より※提供写真


――手ごたえを感じたきっかけはありましたか。

森田:今思えば、「キングオブコント」を卒業したことが大きかったように思います。賞レースにずっと向き合っていると、カロリーを全部持っていかれるんですよ。しかも、抽選でトップバッターを引いたらその年はほぼ終わったようなものですから。費用対効果として見合っていないですし、優勝者しか得をしないので、「違うやり方があるんじゃないか」となり、やめることを決めたんです。その直後くらいから仕事を結構いただけるようになりまして。今まで賞レースのためだけにやってきたのに、いざ賞レースやめたら仕事が増えるというのはすごく皮肉な感じがありましたけど(笑)。

――ブクロさんは「キングオブコント」をやめることについてどう思いましたか。

東ブクロ:(森田が)勝手に決めてたんで、「それでええんちゃう」というほかなかったです。それに「どうせ優勝できない」という、手詰まり感があったのも事実ですから。これまで決勝に何回も進出しましたけど、もう手の内もバレてるし、決勝で最下位にもなってるし。それに、僕らに対する審査員の方のイメージも変わらないだろうなと、半ば諦めていました。

――これまで長年チャレンジし続けた「キングオブコント」をやめることについて、葛藤はなかったのでしょうか。

森田:葛藤はありましたけど、単独ライブをやっていればネタはずっとやっていられるし、ネタ番組も呼んでくれるだろうなという算段はありました。

――昨今は大手事務所から独立する芸能人の方が少なからずいらっしゃいます。そんなこともあって、10年ほど前から独立して成功を収められているお二人に、相談を持ち掛ける方も多いのではないでしょうか。

森田:まあ、たまに受けますよ(笑)。芸人仲間からも「今の事務所を辞めようと思うんですけど…」と相談を受けますけど、大体止めますね。「おったほうがええんちゃうか」と。

――なぜ止めるのでしょうか。

森田:個人でやることの大変さをわかってるからですね。事務所に所属しようが辞めようが仕事の量が変わらないのであれば、「辞めてもいいんじゃないか」とは言いますけど、やっぱり税金のこととか面倒くさいですから。本当に、何もかも自分たちでやらなきゃいけないですし。僕らは番組のノリで会社設立をおぜん立てしてくれたから、ラッキーでここまで来れましたけど、本当に強い意志がなかったらできないと思います。