【テレビの開拓者たち / 松井修平】最後の「オンバト」プロデューサーとしての“義務”とは?

2017/06/10 23:25 配信

バラエティー インタビュー

「テレビは新しい見せ方ができてナンボ」という感覚が刷り込まれてるんです


「小さいころからお笑い好きのテレビっ子。大学の推薦で大手ゼネコンへの就職が内定していたんですが、結局辞退してNHKに入りました」という松井修平氏


――そうした“新たな見せ方”へのこだわりは、すなわち“今までになかった番組”を作りたい、という松井さんの信条でもあるわけですね。

「僕は入局1年目で、古舘伊知郎さんが司会の『クイズ日本人の質問』('93~'03年NHK総合)のパイロット版から手伝わせてもらって、それ以降も、『ふるさと愉快亭 小朝が参りました』('94~'98年NHK総合)、『コメディーお江戸でござる』('95~'04年NHK総合)、『欽ちゃんとみんなでしゃべって笑って』('98~'02年NHK総合)といった番組に、全て立ち上げから携わりました。次から次へと新番組に参加したから、当時は同じ番組に1年以上いたことがなかった(笑)。もちろん下っ端のポジションでしたが、一つの番組が、いろんな人のアイデアで完成形に近付いていく様子を体感することができました。そんな経験があるから、『テレビ番組は“新しい見せ方”ができてナンボだ』という感覚が刷り込まれちゃってるんですよね」

――それにしても、これまで松井さんが携わられたのは、大御所のタレントが出演している番組ばかりですね。

「心の準備もなく、いきなり古舘さんや(春風亭)小朝師匠と一緒にお仕事するわけですからね。特にプレッシャーだったのが、『お江戸でござる』の伊東四朗さん。あの番組は、公開収録で毎回一発撮りだったんですが、尺(放送時間)を合わせるために、どうしても台本の一部をカットしなくちゃいけないんです。その変更を、完璧にせりふを頭に入れて本番を待っている伊東さんに伝えるのが僕の役目で…。入局3年目の若造には荷が重かったです(笑)。でもおかげで、ずいぶんかわいがっていただきました。『松井ちゃん、寿司行こう!』って言われて、ついて行ったら回転寿司だったりして(笑)。

萩本欽一さんも印象に残っていますね。笑いにすごく貪欲で、求道者のような方でした。『しゃべって笑って』では、お子さんをステージに上げてトークをするというコーナーがあったんですけど、リハーサルでは僕がその子供の役をやるんですよ、毎回、夜から朝まで(笑)。ディレクターでありながら、欽ちゃんファミリー並みに鍛えられました(笑)」