大胆なリニューアルを繰り返し、20年以上を経た現在も新鮮な面白さを届け続けているダウンタウンの代表番組のひとつ『ダウンタウンDX』('93年~日本テレビ系)をはじめ、伝説の“視聴率に挑戦”企画などで知られる「EXテレビ」('90~'94年日本テレビ系)や、母親を背負って思い出の地を巡る“おかんおんぶ”といったヒット企画を生み出した「ガリゲル」('10年~読売テレビほか)など、数多くの“これまでにないバラエティー番組”を世に送り出してきた西田二郎氏。現在は読売テレビの編成企画部長を務めながら、番組の企画・演出も手掛け、さらには同志と共に、一般社団法人「未来のテレビを考える会」を結成し、同会の代表理事も務めている。そんな西田氏に、番組や企画の誕生秘話や、今もなお新たな表現に挑戦し続ける思いを語ってもらった。
――世のテレビ好きにとっては、西田さんと言えば、「ダウンタウンDX」の演出家というイメージが最も強いと思うんですけれども。
「そうですね、ディレクターとして番組の立ち上げから参加して、その後'14年まで、20年以上にわたって関わりましたから。途中からは、演出だけでなくチーフプロデューサーも兼務していました」
――第1回目のゲストは菅原文太さんで、そこから初期の数年は、岩下志麻さんや伊東四朗さんといった、ダウンタウンのお二人よりも年上の大物芸能人をゲストに迎えてトークを展開していましたね。
「『ダウンタウンDX』が始まった当時はちょうど、ダウンタウンが、関西の若者から支持を集める気鋭の芸人から、全国区のタレントへとステップアップする時期だったんですね。だから、松本(人志)さん、浜田(雅功)さんよりも上の世代の視聴者にも楽しんでもらえる内容を目指したんです。そこで敢えて、菅原文太さんをはじめ、大御所の方々にご登場いただきました。その意味では、開始から20年が経った今、当初狙っていた視聴者層とダウンタウンの年齢が一緒くらいになって、ちょうど良い感じになってきたんじゃないかなと思います」
――長い番組の歴史の中で、内容が何度も大きく変化しているのはなぜでしょうか?
「'90年代に他局で放送されていたダウンタウンの番組は、二人の笑いの才能を直接企画に落とし込むような内容が多かったんですね。二人だけのフリートークが中心だったり、コントだったり。それぞれの番組のスタッフの方々は、いわば、ダウンタウンの笑いを理解しているプロとして番組を作っていた。でも、僕にはそんな高度なスタッフワークはできるわけがない(笑)。なおかつ、放送時間はすぐに視聴率という数字が求められるプライムタイム。ですから次々と新企画を試して、ウケる方向性を探っていったんです。その結果、クイズ番組になったり、ゲーム番組になったり、そうやって、現在の集団トークという形にたどり着いたわけです」
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