美大在学中から音楽活動をスタートしたシンガーソングライター・小林私が、彼自身の日常やアート・本のことから短編小説など、さまざまな「私事」をつづります。今回は、あるツールを使って書かれた短編小説(フィクション)をお届けします。
高校の同級生から誘いが来た。最後に会合したのはいつだったか...とログを遡ると、2020年の9月で、連絡を取ったのも1年ほど前だ。連絡の仕方も良かった。
「2月〇日空いてる?」
「微妙」(これは変な誘いだったら面倒だからこう返した。本当は全然空いていた。)
「飲もーぜ的なやつ」
飲もーぜ的なやつ、素晴らしい。それ以外何があるのだろう。「飲む」と言ったら酒で、場所は居酒屋で、本当の目的は会話だ。だから、飲もーぜ的なやつ、明快だ。これが春だったら花見の可能性もあったが、それはそれでいい。
メンバーは同じクラスだった友人達が来るんだか来ないんだか、店も時間も決まっていないらしい。久しぶりなのに雑。
こうしたメンツと会って何を話すかと言えば、近況報告を経て、なんだかんだ高校時代の思い出に帰着する。分かり切っていても楽しい。あるあるは狭ければ狭いほど面白いのだから。
しかしながら、土曜日なんだな、と思った。会の日は土曜日なのだ。音楽家などというアコギな商売をしていると忘れてしまうが、土日は大多数の休日なのだ。こういった誘いがある度に「だからライブって土日が多いんだ」と思い出す。
同業の友人と平日の日中に街を歩くときは決まって「昔は、この時間にうろついている人達は何をしているんだと思ってたけど、まさか自分がそれになるなんて」という話題も出てくる。
芸術家というと、なんだかミステリアスな印象を受けるが、最近はインターネットで大抵の人のインタビューが読めるし、SNSなんかで今何しているのか知ることも出来る。調べてみると我々が何をしてるのかなんて案外丸分かりなのだ。
逆に言わせてもらえば、会社員やサラリーマンが何をしているのかが分からない。そりゃあ業種や役職によって様々だろうが、営業、営業の人はスーツでツーブロックでにかっと笑いながら喋っていて、事務、事務の人はパソコンでなにかを打ち込み続けている...野原ひろしやフグ田マスオは毎日何を...という子どもの頃からのイメージが全く更新されていないわけである。
つい先月のことだ。中学の同級生に、これも数年ぶりに突然電話をかけた。用事は単純で「明日遊ぼうぜ」だ。
日にちも明確に覚えていて、1月8日の日曜日の夜。社会人として働いている友人を誘う時間としては非常に異常な誘いであるわけだが、私もそこまで馬鹿ではない。翌日は成人の日、祝日だったのだ。
前々から誘おうと思っていたわけではなくふと思い立ち、カレンダーを確認してから臨んだ、かなり勝算のある電話だったのだが、「いや...仕事だな...」と返されてしまった。
そうか、祝日でも仕事の人はいるか。
きっと自分の感覚はずれているだろうと考え、修正したはずがそれも結局ずれていたというわけだ。
というか、そもそも電話に出てくれたことがラッキーだった。
同業者との遊びは楽しい。話は合うし、スケジュールも合わせやすい(空いている日にちが、というのもあるが、大抵みんなSNSにスケジュールが載っているからだ)。何より、平日のど真ん中で集まれるから、どこへ行っても大概空いている。
こんな暮らしは最高だ、と思いながらも時折ずれているんだなと考える。幼い頃は、たとえばみんなが好きだというテレビが自分の好みがずれているだけで無性に嬉しくなったものだが、近頃は物悲しさの方を強く覚える。
つまるところ、実践的でないのだな、と思う。私はパトスよりもロゴスで制作を進めてしまう性質だが、やはり、平日の昼から遊んで、その延長で遊びのように仕事をしている人間に「大丈夫」などと歌われても、そりゃあアンタはね?と誰しも思うんじゃないだろうか。
同じようなこと考える人達と、日がな温めている机上の空論を戦わせて遊ぶのはどうしようもなく楽しいが、そうしてまたずれていくのではないだろうか。
これから私がとてつもなく忙しくなってしまったら、もう「飲もーぜ的なやつ」には誘ってもらえないかもしれない。そうしてまたずれて、修正不可能なほどになってしまったら。
アニメのなかで主人公が何のけなしに小石を蹴っ飛ばすとする。それは、そういうキャラクターを表す記号かもしれないし、その小石が車に当たって物語が始まるかもしれない。意味のないものは描かれない。なんとなく足の先が痛いとか、いるはずの蚊も、物語に関係ないなら気にする様子は描かれない。その世界にそれらはない。
そういう”ずれ”は重なるほど思考の中で幅を利かせてくる。意味がないんだから排除した方が美しい、ともっともらしいことを言うのだ。
様々な生き方があり、様々な幸福があり、どれも素晴らしいと知っていながら、自分なりの善や幸福へと向かいながら、向かっていると信じながら、ふと、この道は誰の道でもない気がして立ち止まる。
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